an east window

夜明けとなって、明けの明星が心の中に上るまで

「人の子の死」と「イスカリオテのユダの死」(10)まとめ

「人の子の死」と「イスカリオテのユダの死」(1)

「人の子の死」と「イスカリオテのユダの死」(2)主が裏切られた夜

「人の子の死」と「イスカリオテのユダの死」(3)邪悪な値踏み

「人の子の死」と「イスカリオテのユダの死」(4)ユダはゲツセマネにいなかった

「人の子の死」と「イスカリオテのユダの死」(5)ユダの後悔

「人の子の死」と「イスカリオテのユダの死」(6)穢れた金

「人の子の死」と「イスカリオテのユダの死」(7)エレミヤの預言か、それともゼカリヤの預言か

「人の子の死」と「イスカリオテのユダの死」(8)マタイの預言引用

「人の子の死」と「イスカリオテのユダの死」(9)ミドラーシュの中のメシア論

 今まで九回に分けて「イスカリオテのユダの死」についてのマタイによる福音書の記述を、同じ時期に起きたもう一つの死、「イエス・キリストの十字架の死」という文脈の中で省察してみた。

 「一体、聖書には何が書いてあるのだろうか」「聖書は何を伝えようとしているのか」という問いかけを心に、今まで二千五百年~三千年近く、多くの人々が聖書と向き合ってきた。『ミドラーシュ』を書き記したラビたちをはじめ、聖霊を受けた福音書記者や使徒たちも同じように神のみ言葉の前に遜り、キリストの光を求めたのである。私たちはその霊的遺産の豊かな恩恵を手にしている。

Ⅰペテロ1:10-12

10 この救については、あなたがたに対する恵みのことを預言した預言者たちも、たずね求め、かつ、つぶさに調べた。

11 彼らは、自分たちのうちにいますキリストの霊が、キリストの苦難とそれに続く栄光とを、あらかじめあかしした時、それは、いつの時、どんな場合をさしたのかを、調べたのである。

12 そして、それらについて調べたのは、自分たちのためではなくて、あなたがたのための奉仕であることを示された。それらの事は、天からつかわされた聖霊に感じて福音をあなたがたに宣べ伝えた人々によって、今や、あなたがたに告げ知らされたのであるが、これは、御使たちも、うかがい見たいと願っている事である。 

 天の御使いさえも知り得ない奥義が啓示されている聖書。御子の命という計り知れないほどの高価な代価によって成し遂げられた永遠の贖いが啓示されている聖書。

 人間は、イエス・キリストの啓示に対して、イスカリオテのユダのように「はした金」で売ることもできる。逆にその「血の代価」によって、自分の魂の救いを受け取ることもできる。

 イエス・キリストを「奴隷一人の値段」に値積り、卑下し、あるいはそのような自分を忌み嫌い、自分で状況を「解釈し」、自分で解決を試みることさえもできる。しかし、銀貨三十枚がユダの良心を清めることができなかったように、人間が自分勝手に値積る価値など、罪びとの魂を救うことはできないし、事態を解決することもできない。

 父なる神自身が愛する御子の命に与えている無限の代価を遜って信じ、感謝することによってのみ、私たちの罪は赦され、空虚な生から救われるのである。

Ⅰペテロ1:13-25

13 それだから、心の腰に帯を締め、身を慎み、イエス・キリストの現れる時に与えられる恵みを、いささかも疑わずに待ち望んでいなさい。

14 従順な子供として、無知であった時代の欲情に従わず、

15 むしろ、あなたがたを召して下さった聖なるかたにならって、あなたがた自身も、あらゆる行いにおいて聖なる者となりなさい。

16 聖書に、「わたしが聖なる者であるから、あなたがたも聖なる者になるべきである」と書いてあるからである。

17 あなたがたは、人をそれぞれのしわざに応じて、公平にさばくかたを、父と呼んでいるからには、地上に宿っている間を、おそれの心をもって過ごすべきである。

18 あなたがたのよく知っているとおり、あなたがたが先祖伝来の空疎な生活からあがない出されたのは、銀や金のような朽ちる物によったのではなく、

19 きずも、しみもない小羊のようなキリストの尊い血によったのである。

20 キリストは、天地が造られる前から、あらかじめ知られていたのであるが、この終りの時に至って、あなたがたのために現れたのである。

21 あなたがたは、このキリストによって、彼を死人の中からよみがえらせて、栄光をお与えになった神を信じる者となったのであり、したがって、あなたがたの信仰と望みとは、神にかかっているのである。

22 あなたがたは、真理に従うことによって、たましいをきよめ、偽りのない兄弟愛をいだくに至ったのであるから、互に心から熱く愛し合いなさい。 

23 あなたがたが新たに生れたのは、朽ちる種からではなく、朽ちない種から、すなわち、神の変ることのない生ける御言によったのである。

24 「人はみな草のごとく、その栄華はみな草の花に似ている。草は枯れ、花は散る。

25 しかし、主の言葉は、とこしえに残る」。これが、あなたがたに宣べ伝えられた御言葉である。