an east window

夜明けとなって、明けの明星が心の中に上るまで

「人の子の死」と「イスカリオテのユダの死」(6)穢れた金

マタイ27:1-11

1 夜が明けると、祭司長たち、民の長老たち一同は、イエスを殺そうとして協議をこらした上、

2 イエスを縛って引き出し、総督ピラトに渡した。 

3 そのとき、イエスを裏切ったユダは、イエスが罪に定められたのを見て後悔し、銀貨三十枚を祭司長、長老たちに返して

4 言った、「わたしは罪のない人の血を売るようなことをして、罪を犯しました」。しかし彼らは言った、「それは、われわれの知ったことか。自分で始末するがよい」。 

5 そこで、彼は銀貨を聖所に投げ込んで出て行き、首をつって死んだ。 

6 祭司長たちは、その銀貨を拾いあげて言った、「これは血の代価だから、宮の金庫に入れるのはよくない」。

7 そこで彼らは協議の上、外国人の墓地にするために、その金で陶器師の畑を買った。

8 そのために、この畑は今日まで血の畑と呼ばれている。

9 こうして預言者エレミヤによって言われた言葉が、成就したのである。すなわち、「彼らは、値をつけられたもの、すなわち、イスラエルの子らが値をつけたものの代価、銀貨三十を取って、

10 主がお命じになったように、陶器師の畑の代価として、その金を与えた」。

11 さて、イエスは総督の前に立たれた。すると総督はイエスに尋ねて言った、「あなたがユダヤ人の王であるか」。イエスは「そのとおりである」と言われた。 

 (5)において、3節から10節までの挿入部が、ユダの身に起きた一連の出来事が「いつ」 起きたことより、「何」が起きたかを記述していることを示した。

 実際、ユダがいつ首をつって死んだか、聖書は記録していない。しかし「首をつって死んだ」事実は書いている。それが起きたのは、祭司長や長老たちのところから離れて聖所に銀貨三十枚を投げ入れた直後かもしれないし、ピラトが民衆の扇動によってイエス・キリストの処刑を宣告した後かもしれない。イエスが十字架の上で苦しんでいる時だったかもしれないし、彼が息を引き取った後かもしれない。聖書はその正確な時間を記録していない。使徒行伝の記録によれば、過越祭が終わって四十日間経った後、弟子たちがエルサレムに集まって、ユダの代わりにマッテヤを使徒として選んだ時点では、当然、ユダはすでに死んでいた。

使徒1:15-26

15 そのころ、百二十名ばかりの人々が、一団となって集まっていたが、ペテロはこれらの兄弟たちの中に立って言った、

16 「兄弟たちよ、イエスを捕えた者たちの手びきになったユダについては、聖霊がダビデの口をとおして預言したその言葉は、成就しなければならなかった。

17 彼はわたしたちの仲間に加えられ、この務を授かっていた者であった。(

18 彼は不義の報酬で、ある地所を手に入れたが、そこへまっさかさまに落ちて、腹がまん中から引き裂け、はらわたがみな流れ出てしまった。

19 そして、この事はエルサレムの全住民に知れわたり、そこで、この地所が彼らの国語でアケルダマと呼ばれるようになった。「血の地所」との意である。)

20 詩篇に、『その屋敷は荒れ果てよ、そこにはひとりも住む者がいなくなれ』と書いてあり、また『その職は、ほかの者に取らせよ』とあるとおりである。

21 そういうわけで、主イエスがわたしたちの間にゆききされた期間中、

22 すなわち、ヨハネのバプテスマの時から始まって、わたしたちを離れて天に上げられた日に至るまで、始終わたしたちと行動を共にした人たちのうち、だれかひとりが、わたしたちに加わって主の復活の証人にならねばならない」。

23 そこで一同は、バルサバと呼ばれ、またの名をユストというヨセフと、マッテヤとのふたりを立て、

24 祈って言った、「すべての人の心をご存じである主よ。このふたりのうちのどちらを選んで、

25 ユダがこの使徒の職務から落ちて、自分の行くべきところへ行ったそのあとを継がせなさいますか、お示し下さい」。

26 それから、ふたりのためにくじを引いたところ、マッテヤに当ったので、この人が十一人の使徒たちに加えられることになった。  

  使徒行伝においても、その中で記録されているのは、「ユダの自殺が旧約聖書のダビデ王の預言の成就であること」、「ユダが不義の報酬で、ある地所を手に入れたこと」、また「首を吊って自殺したユダは、その地所へ真っ逆さまに落ち、腹がまん中から引き裂け、はらわたがみな流れ出てしまったこと」である。

 使徒行伝においては、ユダが不義の報酬である土地を手に入れたことになっているが、マタイによる福音書には、祭司長たちが、ユダが聖所に投げ込んだ銀貨三十枚を拾い、宮の金庫が「穢れる」のを恐れて、協議したのちにその「血の代価」である「穢れた金」で陶器師の畑を購入したことになっている。この点を指摘して、二つの記述が矛盾しているという意見もある。

 しかし、福音書に書いてある通り、祭司長たちは、その銀貨を「偽メシア・冒涜者として、木に架けられ呪われて死んだイエス」の「血の代価」として、さらに「首吊り自殺という呪われた死を遂げたユダが受け取った金」という二重の意味で、「神聖な宮の金庫を穢すので、納金することもできない穢れた金」だと判断していたのだから、陶器師の畑を実際には祭司長たちが購入手続きをしたとしても、体裁上、呪われたユダのお金ということにしておき、そのユダが購入した、としたのも何ら不思議ではないだろう。

 またユダヤ人が外国人のことを穢れた罪びととして考えていたこと、また墓地は律法によって穢れた土地である(民数記19:16 参照)とされていたことを考慮すると、「外国人の墓地にするために」という購入目的は、「呪われた者の穢れた金」の用途として道理にかなっていると言える。

 また「彼は不義の報酬で、ある地所を手に入れたが、そこへまっさかさまに落ちて、腹がまん中から引き裂け、はらわたがみな流れ出てしまった。」という個所は、25節の「ユダがこの使徒の職務から落ちて、自分の行くべきところへ行った」とアナロジー関係であり、主イエス・キリストを裏切った当然の報いとして、行くべきところ、つまり呪われたところに落ちていったことを表しているのだろう。

 悪しき者の悪の報いについて、ヨブ記に以下のような記述がある。

ヨブ記20:5-15

5 悪しき人の勝ち誇はしばらくであって、神を信じない者の楽しみはただつかのまであることを。

6 たといその高さが天に達し、その頭が雲におよんでも、

7 彼はおのれの糞のように、とこしえに滅び、彼を見た者は言うであろう、『彼はどこにおるか』と。

8 彼は夢のように飛び去って、再び見ることはない。彼は夜の幻のように追い払われるであろう。

9 彼を見た目はかさねて彼を見ることがなく、彼のいた所も再び彼を見ることがなかろう。

10 その子らは貧しい者に恵みを求め、その手は彼の貨財を償うであろう。

11 その骨には若い力が満ちている、しかしそれは彼と共にちりに伏すであろう。

12 たとい悪は彼の口に甘く、これを舌の裏にかくし、

13 これを惜しんで捨てることなく、口の中に含んでいても、

14 その食物は彼の腹の中で変り、彼の内で毒蛇の毒となる。

15 彼は貨財をのんでも、またそれを吐き出す、神がそれを彼の腹から押し出されるからだ。

 しかし、イスカリオテのユダの死について考察するとき、裏切りと不信仰な自殺によって呪われたユダの死と同時期に、全く罪のない神の御子イエスが私たちの罪のために、私たちが受けるべきだった呪いを背負ってくださり、当時最も忌み嫌われていた死に方で、「偽の王」「偽メシア」「冒涜者」「嘘つき」「扇動者」と見做されて死んでくださったことが、私の心に強く迫ってくるのである。

 ユダは自分の不義の当然の報いを受け、自分で選択し、行くべきところへ落ちていったが、御子イエスは、私たちの不義の報いを背負い、私たちが行くべきだったところへ降りて行ってくださったのである。

ガラテヤ3:13-14

13 キリストは、わたしたちのためにのろいとなって、わたしたちを律法ののろいからあがない出して下さった。聖書に、「木にかけられる者は、すべてのろわれる」と書いてある。

14 それは、アブラハムの受けた祝福が、イエス・キリストにあって異邦人に及ぶためであり、約束された御霊を、わたしたちが信仰によって受けるためである。 

 

(7)へ続く