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夜明けとなって、明けの明星が心の中に上るまで

ジミー・カーター氏の発言と聖書の啓示


Jimmy Carter Says Jesus Would Approve Of Gay ...

 たとい「新生したクリスチャン」と自認し、バプティスト教会において「日曜学校の教師」している、アメリカ合衆国の元大統領であり、ノーベル平和賞受賞者が、「イエスは同性愛者の結婚を認めると思う」と意見したところで、聖書が啓示する真理は変わることがない。

 神の律法がモーセを通して明文化する前、主なる神はソドムとゴモラの町々を火と硫黄によって裁くことによって、同性愛を含むあらゆる不自然な肉欲に対する考えを明らかに啓示した。

創世記18:20ー21

20 主はまた言われた、「ソドムとゴモラの叫びは大きく、またその罪は非常に重いので、

21 わたしはいま下って、わたしに届いた叫びのとおりに、すべて彼らがおこなっているかどうかを見て、それを知ろう」。 

創世記19:24-25

24 主は硫黄と火とを主の所すなわち天からソドムとゴモラの上に降らせて、

25 これらの町と、すべての低地と、その町々のすべての住民と、その地にはえている物を、ことごとく滅ぼされた。 

ユダ1:7

ソドム、ゴモラも、まわりの町々も、同様であって、同じように淫行にふけり、不自然な肉欲に走ったので、永遠の火の刑罰を受け、人々の見せしめにされている。 

 そして主なる神は、モーセを通してその神聖な意思を書き残させ、ご自身の民に知らせた。

レビ18:22;29;30

22 あなたは女と寝るように男と寝てはならない。これは憎むべきことである。

29 これらのもろもろの憎むべき事の一つでも行う者があれば、これを行う人は、だれでもその民のうちから断たれるであろう。

30 それゆえに、あなたがたはわたしの言いつけを守り、先に行われたこれらの憎むべき風習の一つをも行ってはならない。またこれによって身を汚してはならない。わたしはあなたがたの神、主である』」。

レビ20:13

女と寝るように男と寝る者は、ふたりとも憎むべき事をしたので、必ず殺されなければならない。その血は彼らに帰するであろう。 

 明確に同性愛行為が、「憎みべきこと」「身を汚す行為であること」「死刑に値する行為であること」が啓示されている。

 それでは、新約聖書ではどのように扱われているだろうか。

ローマ1:26-27

26 それゆえ、神は彼らを恥ずべき情欲に任せられた。すなわち、彼らの中の女は、その自然の関係を不自然なものに代え、

27 男もまた同じように女との自然の関係を捨てて、互にその情欲の炎を燃やし、男は男に対して恥ずべきことをなし、そしてその乱行の当然の報いを、身に受けたのである。

Ⅰコリント6:9-11

9 それとも、正しくない者が神の国をつぐことはないのを、知らないのか。まちがってはいけない。不品行な者、偶像を礼拝する者、姦淫をする者、男娼となる者、男色をする者、盗む者、

10 貪欲な者、酒に酔う者、そしる者、略奪する者は、いずれも神の国をつぐことはないのである。

11 あなたがたの中には、以前はそんな人もいた。しかし、あなたがたは、主イエス・キリストの名によって、またわたしたちの神の霊によって、洗われ、きよめられ、義とされたのである。 

 コリントの教会の信徒の中には、信仰によって救われる以前、男色をする者もいたことが暗示されている。しかし、使徒パウロは「以前はそんな人もいた」と言っているのであって、主イエス・キリストを信じることによって、「洗われ、きよめられ、義とされた」ことを強調している。これは、モーセの律法によって死刑に値すると定められていた男色をする者も、イエス・キリストの身代わりの死によってその罪が赦され、解放され、神のみ旨にそった生き方をする者に造りかえられていたことを証している。

 ただコリントの教会にそのまま容認され、「男色者の信仰者」として教会に通っていたのではない。万が一、神の恵みに関して無知であったり、勘違いし、自分の欲望を頑なに是認する生き方をしていたとしても、それによって神の聖性のレベルが変わるわけではない。だからこそ、そのような行為を行う者が神の国を継ぐことはないのだから、「間違ってはいけない」と厳しく戒めているのである。

 確かに、主なる神は憐れみ深い神であり、イエス・キリストの十字架の贖いの死によって、あらゆる罪を赦し、清め、神の子としてくださる。だがその無限の愛を自分勝手に曲解し、「神の恵みを放縦な生活に変える」ことは罪である。

ユダ4

そのわけは、不信仰な人々がしのび込んできて、わたしたちの神の恵みを放縦な生活に変え、唯一の君であり、わたしたちの主であるイエス・キリストを否定しているからである。彼らは、このようなさばきを受けることに、昔から予告されているのである。

 神の無限の恵みは、私たちを罪の縄目から解放し、自由を与え、「不信心とこの世の情欲とを捨てて、慎み深く、正しく、信心深くこの世で生活する」よう、日々「教えている」のである。

テトス2:11-13

11 すべての人を救う神の恵みが現れた。

12 そして、わたしたちを導き、不信心とこの世の情欲とを捨てて、慎み深く、正しく、信心深くこの世で生活し、

13 祝福に満ちた望み、すなわち、大いなる神、わたしたちの救主キリスト・イエスの栄光の出現を待ち望むようにと、教えている。 

Ⅱテモテ2:19

しかし、神のゆるがない土台はすえられていて、それに次の句が証印として、しるされている。

「主は自分の者たちを知る」。

また「主の名を呼ぶ者は、すべて不義から離れよ」。

 私は、元同性愛者で救われ、完全に生まれ変わり、今はごく普通の家庭を築き、神に仕えている兄弟を知っている。

 それと同時に、同じ神に愛されていることを知っているにもかかわらず、同性愛を捨てきれず、霊的に暗闇を歩くことを選んでいる人々も知っている。

 誰も惑わされてはならない。

 

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