Ⅱテサロニケ2:1-5
1 さて兄弟たちよ。わたしたちの主イエス・キリストの来臨と、わたしたちがみもとに集められることとについて、あなたがたにお願いすることがある。
2 霊により、あるいは言葉により、あるいはわたしたちから出たという手紙によって、主の日はすでにきたとふれまわる者があっても、すぐさま心を動かされたり、あわてたりしてはいけない。
3 だれがどんな事をしても、それにだまされてはならない。まず背教のことが起り、不法の者、すなわち、滅びの子が現れるにちがいない。
4 彼は、すべて神と呼ばれたり拝まれたりするものに反抗して立ち上がり、自ら神の宮に座して、自分は神だと宣言する。
5 わたしがまだあなたがたの所にいた時、これらの事をくり返して言ったのを思い出さないのか。
4節は、「不法の者」「滅びの子」、つまり受肉したサタンである「反キリスト」の本質を実によく表している。
- すべて神と呼ばれたり拝まれたりするものに反抗する
- 自ら神の宮に座して、自分は神だと宣言する
すべて神と呼ばれり拝まれたりする存在に反抗するが、それは愛と正義の世界を構築するためではなく、自分自身が神の代わりに、神だけがふさわしい座に座りたいがためである。
主なる神の言葉を反対し、否定し、邪魔するが、それは自分が神の座に座るためである。つまり、悪魔は神に反抗するが、神の権威や栄光や地位を欲するのである。逆説的に言えば、悪魔の欲望は、あくまで神の存在や権威や栄光に依存しているのである。
これは、非常に霊的な一つの啓示である。悪が善の否定であり、善がなければ、悪そのものさえ存在しえないように、悪魔の存在も、その願望も、行動も、すべて神の存在がなければ存在し得ず、結局、悪魔のすべてが主なる神に従属しているのである。
このような神の主権の絶対的前提があるからこそ、引用した聖句は以下のように、最終的なイエス・キリストによる勝利を啓示しているのである。
Ⅱテサロニケ2:6-8
6 そして、あなたがたが知っているとおり、彼が自分に定められた時になってから現れるように、いま彼を阻止しているものがある。
7 不法の秘密の力が、すでに働いているのである。ただそれは、いま阻止している者が取り除かれる時までのことである。
8 その時になると、不法の者が現れる。この者を、主イエスは口の息をもって殺し、来臨の輝きによって滅ぼすであろう。
イエス・キリストとサタンがまるで対等の立場で、いまでも天上で火花を散らしながらせめぎ合い、霊的戦いをしているというイメージは、全く聖書的ではない。キリストは神であり、被造物であるサタンをはるかに凌ぐ権威をもち、実際に、十字架の上で圧倒的な勝利を世に知らしめたのである。
ヨハネ12:31
今はこの世がさばかれる時である。今こそこの世の君は追い出されるであろう。
14:30
わたしはもはや、あなたがたに、多くを語るまい。この世の君が来るからである。だが、彼はわたしに対して、なんの力もない。
16:11
さばきについてと言ったのは、この世の君がさばかれるからである。
信仰者の霊的勝利は、このイエス・キリストの勝利に信頼し、その中に安息することである。決して、私たちの宗教的行い(長時間の祈りや断食、善行、献金など)の「成果」ではない。
ローマ8:35-39
35 だれが、キリストの愛からわたしたちを離れさせるのか。患難か、苦悩か、迫害か、飢えか、裸か、危難か、剣か。
36 「わたしたちはあなたのために終日、死に定められており、ほふられる羊のように見られている」と書いてあるとおりである。
37 しかし、わたしたちを愛して下さったかたによって、わたしたちは、これらすべての事において勝ち得て余りがある。
38 わたしは確信する。死も生も、天使も支配者も、現在のものも将来のものも、力あるものも、
39 高いものも深いものも、その他どんな被造物も、わたしたちの主キリスト・イエスにおける神の愛から、わたしたちを引き離すことはできないのである。
このイエス・キリストの十字架の勝利を根拠としない、「霊の戦い」の歪んだ教えから派生する出来事が、日本だけでなく世界各地でスキャンダルを起こしているが、これは、教会がイエス・キリストの十字架の奥義を聖霊に力によって語らなくなったことが大きな原因の一つであり、近い将来、最終的な背教が起こり、反キリストが神の座に座ることになる一つの布石である。