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an east window

夜明けとなって、明けの明星が心の中に上るまで

現代の教会は何を求め、何を提供しているか。

西側で犠牲にされる貞節

アメリカ・ニューヨークで活動するある女性活動家は、次のように述べています。
「私たちの社会では、女性は毎日、男性から認められる為に表面的な魅力に縛られざるを得なくなっている。私たちは、自由という名前のごみ箱を設け、女性に制限を加えるものの全てを、そこに捨ててきた」

 

 私は力と美しさ、貞節、そして何よりもあなたの満足と喜びを褒め称える。そう、私の脳裏に焼きついているのは、あなたたちが敵に爆撃されていても、私達より喜びに溢れていることである。なぜなら、あなたはまだ1人の女性としてごく自然な生き方、即ち、女性が当初から常に維持してきた生活様式を守っているからである」

 先日、ある福音派教会における結婚式に招待され、その教会員だと思われる女性たちの服装に驚いてしまった。その宗派は、以前は礼拝中だけではなく普段の生活においても女性信徒が頭にベールをかぶり、「慎ましさ」を重んじ、実際にそのような証しが社会から評価されていたグループであることを私自身知っていたので、なおさら、そのギャップに驚いたのである。

 「女性らしさ」の基準が、聖書が教える霊的・内面的なものから、マスメディアが提供する表層的・肉感的なものになってしまっているのは明らかである。それはマスメディアの責任もあるのだろうが、むしろ現代の教会における霊的貧困が最も根源的な原因だろう。「男性から認められる為に表面的な魅力に縛られてしまっている女性」のように、現代の多くの教会は、この世の価値観から認められる為に、より表層的な魅力に縛られてしまっているのではないか。「信仰によって、より美しく、スマートで、クールで、楽しく、豊かになろう」という偽りの福音に縛られてしまっている。

 終わりの時に、一人ひとりの信仰者が、イエス・キリストの福音、特に「十字架のことば」の深遠で豊かな霊性に立ち帰るなら、低俗な価値観の渦に巻き込まれている若い世代の感受性に訴え、そのような表層的なものでは決して満たされない霊的飢え渇きを癒やす「糧」を彼らにも提供できると確信する。