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夜明けとなって、明けの明星が心の中に上るまで

神の本質に内在するキリストの十字架(6)

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 主なる神は最後の審判の後、現行の天と地の代わりに「新しい天と新しい地」を与え、現行のエルサレムの代わりに「聖なる都、神のもとから出て、天から下ってくる新しいエルサレム」を備えてくださる。

黙示録21:1-2

1 わたしはまた、新しい天と新しい地とを見た。先の天と地とは消え去り、海もなくなってしまった。

2 また、聖なる都、新しいエルサレムが、夫のために着飾った花嫁のように用意をととのえて、神のもとを出て、天から下って来るのを見た。

 その栄光の都は、人の手によって造られたものではなく、神自身が備えてくださる神と人が共に住むために幕屋である。そこにはもはや、死も、悲しみも、叫びも、痛みもない。

黙示録21:3-4

3 また、御座から大きな声が叫ぶのを聞いた、「見よ、神の幕屋が人と共にあり、神が人と共に住み、人は神の民となり、神自ら人と共にいまして、

4 人の目から涙を全くぬぐいとって下さる。もはや、死もなく、悲しみも、叫びも、痛みもない。先のものが、すでに過ぎ去ったからである」。 

 この神の新しいエルサレム、つまり神の人類に対する壮大な計画の最終的状態において、そこを照らす光は、太陽や人工的な光ではなく、「子羊が都のあかり」であり、「主なる神が贖われた人々をそのあかりによって照らす」と啓示されている。

黙示録21:22-23

22 わたしは、この都の中には聖所を見なかった。全能者にして主なる神と小羊とが、その聖所なのである。

23 都は、日や月がそれを照す必要がない。神の栄光が都を明るくし、小羊が都のあかりだからである。 

黙示録22:3-5

3 のろわるべきものは、もはや何ひとつない。神と小羊との御座は都の中にあり、その僕たちは彼を礼拝し、

4 御顔を仰ぎ見るのである。彼らの額には、御名がしるされている。

5 夜は、もはやない。あかりも太陽の光も、いらない。主なる神が彼らを照し、そして、彼らは世々限りなく支配する。 

 これは実に深遠な啓示である。つまり、神の最終的計画の実現は、「神の子羊」つまり「罪の贖いのために屠られ、復活した御子イエス・キリスト」の光によってのみ、「見る」ことができるのである。

 「勝利を得たユダ族の獅子」(黙示5:5)の光ではない。「屠られたとみられる子羊」(黙示5:6)の光である。

 ダニエル書に預言されている通り、終わりの時には「多くの者は、あちこちと探り調べ、そして知識が増す」(12:4)であろう。しかしその知識とは、あくまで「神の子羊の光」によって照らされた知識であり、それ以外は私達の思いを神の思いから引き離し、あらぬところに導いていくだろう。

 様々な「知識」に惑わされず、「十字架につけられたイエス・キリスト」に神の光を求めていくことが最も確実な道である。

Ⅰコリント1:22-24

22 ユダヤ人はしるしを請い、ギリシヤ人は知恵を求める。

23 しかしわたしたちは、十字架につけられたキリストを宣べ伝える。このキリストは、ユダヤ人にはつまずかせるもの、異邦人には愚かなものであるが、

24 召された者自身にとっては、ユダヤ人にもギリシヤ人にも、神の力、神の知恵たるキリストなのである。  

 

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