an east window

夜明けとなって、明けの明星が心の中に上るまで

誰の名による一致か


反キリストの一致運動計画(吹き替え版) - YouTube

 このビデオのメッセージの全てにおいて合意しているわけではないが、今の動向を聖書の終末預言と照合した大きな流れが読み取れるという意味で、有意義なものだと思う。

 キリストに従っていこうと日々願っている信仰者は、決して「平和や一致への努力」自体を独善的に批判したり、揶揄したりはしない。

 ただ絶対に誤魔化せない核心的な点は、『世界福音同盟の代表団が教皇フランシスコと会合(1) - an east window』のシリーズ記事の中でも書いた通り、「彼らが主張する一致や平和の求心点はイエス・キリストか、それともひとつの大きな政治宗教組織あるいはその代表者か」という点である。

 そもそも「目に見えない絶対権威者」の代わりに「目に見える統治者」を求めるのは、イスラエルの民が主なる神を捨てて、王を求めたことに共通していないだろうか。

Ⅰサムエル8:1-7

1 サムエルは年老いて、その子らをイスラエルのさばきづかさとした。

2 長子の名はヨエルといい、次の子の名はアビヤと言った。彼らはベエルシバでさばきづかさであった。

3 しかしその子らは父の道を歩まないで、利にむかい、まいないを取って、さばきを曲げた。

4 この時、イスラエルの長老たちはみな集まってラマにおるサムエルのもとにきて、

5 言った、「あなたは年老い、あなたの子たちはあなたの道を歩まない。今ほかの国々のように、われわれをさばく王を、われわれのために立ててください」。

6 しかし彼らが、「われわれをさばく王を、われわれに与えよ」と言うのを聞いて、サムエルは喜ばなかった。そしてサムエルが主に祈ると、

7 主はサムエルに言われた、「民が、すべてあなたに言う所の声に聞き従いなさい。彼らが捨てるのはあなたではなく、わたしを捨てて、彼らの上にわたしが王であることを認めないのである。

8 彼らは、わたしがエジプトから連れ上った日から、きょうまで、わたしを捨ててほかの神々に仕え、さまざまの事をわたしにしたように、あなたにもしているのである。 

 確かにイスラエルの国は、ダビデ王によって領地を大幅に拡大し、ソロモン王によって近隣諸国との平和と繁栄をみた。しかしその領地拡大は血生臭い武力行使によるものであり(彼はその流した血のゆえ、エルサレムに神殿を建てることを神に禁じられた)、その平和と繁栄は戦略結婚による妥協と背教の産物であった。

 非常に意味深い事例がある。ローマ・カトリック教会は、レオン10世が1520年に破門した宗教改革者マルティン・ルターについて、1989年にヨハネ・パウロ二世を通してその破門は現在無効であるとコメントしたが、その理由は単純に、ルターがもう生きていないから、というものであった。(IL PAPA ASSOLVE MARTIN LUTERO 'LA SCOMUNICA E' DECADUTA' - la Repubblica.it

 しかしルターを破門宣告した理由である「信仰のみよる義認」の教義そのものに関しては、カトリック教会はその断罪を取り消すどころか、公式上500年前と全く同じポジションに今でもいるのである。実に巧妙である。

 「軒を貸して母屋を取られる」ようなことがないように、目を覚ましていなければならない。