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an east window

夜明けとなって、明けの明星が心の中に上るまで

生けるキリストを求めて(53)神の救いの計画

生けるキリストを求めて(旧約聖書の中のキリスト)

創世記25:20-26

20 イサクは四十歳の時、パダンアラムのアラムびとベトエルの娘で、アラムびとラバンの妹リベカを妻にめとった。

21 イサクは妻が子を産まなかったので、妻のために主に祈り願った。主はその願いを聞かれ、妻リベカはみごもった。

22 ところがその子らが胎内で押し合ったので、リベカは言った、「こんなことでは、わたしはどうなるでしょう」。彼女は行って主に尋ねた。

23 主は彼女に言われた、「二つの国民があなたの胎内にあり、二つの民があなたの腹から別れて出る。一つの民は他の民よりも強く、兄は弟に仕えるであろう」。

24 彼女の出産の日がきたとき、胎内にはふたごがあった。

25 さきに出たのは赤くて全身毛ごろものようであった。それで名をエサウと名づけた。

26 その後に弟が出た。その手はエサウのかかとをつかんでいた。それで名をヤコブと名づけた。リベカが彼らを産んだ時、イサクは六十歳であった。 

 イサクがリベカと結婚して20年後、主なる神は不妊の妻のための彼の祈りに応えて、子を、しかも双子を授けた。待ちに待った懐妊にだが、胎内でその子らが激しく動くのに驚いたリベカは、主なる神に尋ねた。主の答えは、神の預言としてリベカの子ヤコブ、双子の弟に対する特別な愛情となっていく。

 ここで素朴な疑問が生まれる。「神は人間の人生を定める方なのだろうか」。生まれる前から「兄は弟に仕える」という「運命」が定められているのなら、神は依怙贔屓(えこひいき)をするのだろうか。それとも「運命を定める」のではなく、シンプルに「将来において何が起こるか全て知っている」のであろうか。

 新約聖書における使徒パウロのこの聖句の引用は、神が人間の「運命」を予め定めているという「予定説」を主張するために引用されているかのように思える。

ローマ9:10-16

10 そればかりではなく、ひとりの人、すなわち、わたしたちの父祖イサクによって受胎したリベカの場合も、また同様である。

11 まだ子供らが生れもせず、善も悪もしない先に、神の選びの計画が、

12 わざによらず、召したかたによって行われるために、「兄は弟に仕えるであろう」と、彼女に仰せられたのである。

13 「わたしはヤコブを愛しエサウを憎んだ」と書いてあるとおりである。

14 では、わたしたちはなんと言おうか。神の側に不正があるのか。断じてそうではない。

15 神はモーセに言われた、「わたしは自分のあわれもうとする者をあわれみ、いつくしもうとする者を、いつくしむ」。

16 ゆえに、それは人間の意志や努力によるのではなく、ただ神のあわれみによるのである。  

  そしてこの箇所は、救いに関する「予定説」、つまり「神はすべての人を救われるのではなく、救われるべき人々を神があらかじめ選ばれた」という救済論の根拠として引用されることが多い。

 しかし、ローマ書の9章はじめから11章の終わりまでまとめて読むと、使徒パウロが言わんとしていた内容が、「予定説」とは異なることが理解できるのである。この部分の中心的テーマは、

  • 神が御自身の計画によって、その一方的な恵みによってイスラエルの民を選ばれ、もろもろの契約や律法、礼拝などを与えられたこと(9:4)
  • しかし、そのイスラエルは行いによって神の前に義とされることを求め、躓き(9:31,32)、キリストの福音のゆえに頑なになり、「神の敵」とされてしまった(11:25、28)。
  • だが、異邦人の救いが完成したときに、神はイスラエルの民をあわれみ、彼らの不信心を追い払い、救いに導く。それは、「ただ神の憐みによるので」、イスラエルの民の義によるものではない。

ローマ11:26-27

26 こうして、イスラエル人は、すべて救われるであろう。すなわち、次のように書いてある、「救う者がシオンからきて、ヤコブから不信心を追い払うであろう。

27 そして、これが、彼らの罪を除き去る時に、彼らに対して立てるわたしの契約である」。

 だから9章からの一連のテーマは、「イスラエルの民の選びと、神の憐みによる彼らの救いの計画」に関するものであり、「神はすべての人を救われるのではなく、救われるべき人々を神があらかじめ選ばれた」という普遍的な予定説とは異なるのである。

 主イエス・キリストは「最後のアダム」として全人類を代表する存在であり、また全ての罪びとのために十字架の上で犠牲になったのである。それは「全ての人を救いに導きたい」という神のあわれみの明白な顕れである。

ヨハネ3:16

神はそのひとり子を賜わったほどに、この世を愛して下さった。それは御子を信じる者がひとりも滅びないで、永遠の命を得るためである。 

Ⅰテモテ2:4

神は、すべての人が救われて、真理を悟るに至ることを望んでおられる。 

Ⅱペテロ3:9

ある人々がおそいと思っているように、主は約束の実行をおそくしておられるのではない。ただ、ひとりも滅びることがなくすべての者が悔改めに至ることを望み、あなたがたに対してながく忍耐しておられるのである。

 

追記(2016年2月10日)

 アブラハムの唯一の「種」によって、妻サラからイサクが生まれ、そばめハガルからイシマエルが、そしてもう一人のそばめケトラから六人の子たちジムラン、ヨクシャン、メダン、ミデアン、イシバク、シュワが生まれた。そして約束の子イサクの子孫と、二人のそばめの子孫たちの間で、将来にわたってさまざまな確執が生まれることになる。

 しかしイサクの妻リベカに関しては、唯一の胎からエサウとヤコブという二つの国民、しかも対立し合う国民が生まれることになる。その対立は、主イエス・キリストが救い主として地上に来られ、イスラエルの王として十字架にかけられたときに、地上の王ヘロデとの関係において、極に達することになる。