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『神は女でもある』?

"Dio è anche donna" la sfida delle anglicane per riscrivere le preghiere - la Repubblica.it

『神は女でもある』英国聖公会による祈祷文を書き換える挑戦

イタリア・レプッブリカ紙

 「天にいますわれらの母よ、御名があがめられますように」:キリスト教の象徴的祈祷は、いつの日か、このようにはじまるのだろうか。

 司祭職に女性がつくことを認めて随分経ち、その何人かを数か月前に初めて司教の地位まで引き上げた英国聖公会では、そのようなことが起こり得る。それを求めているのは、女性司祭や女性司教、信徒で構成されている「WATCH(Women And The CHurch)」という名のロンドンの教会の宗教組織である。

 オックスフォードのトリニティー・カレッジの司祭エンマ・パーシ―は、「神の位格を認めるために男性的語法だけを使う時、神が男であるという考えを強調し、それは男が女より神に似ている、と暗示的にほのめかすことになる」と言っている。

 この問題について、英国聖公会の霊的指導者であるカンタベリー大司教によって設立された特別委員会において、「司祭職を選んだ女性らの経験を探るため」議論された。

 このことは、『主の祈り』が「天にいますわれらの母よ」に書き換えられたり、もしくは祈る人それぞれが二つの祈祷バージョンのうち、自由に選択できるようになる、など、祈祷文の変更が間近にあるということを意味しているわけではない。

 WATCHグループ代表ヒラリー・コットンは、「討論の準備段階にすぎません」と言っている。「神の共通認識の幅を拡げるため、英国の教会の祈祷文を書き換えることは、非常に複雑な問題で、おそらく何年もかかるだろう」。

 カンタベリー大司教のスポークスマンは、「大司教は、許可を出しはしたが、議論には参加していない。典礼におけるどのような変更も、典礼委員会の掘り下げた協議の後、教会総会議の採決が必要である」と言った。

 しかしその教会総会議こそが、去年、女性司教の職務を認めたのである。この転換点によって、リッビー・レーン司祭を司教として一月に任命し、他の二人の女性司教を最近任命するようになった。理論的には、大司教の地位に将来女性が就き、さらにロンドン教会の指導者として「女教皇」が就任する可能性に道を開いたのである。

 英国聖公会は 新しく変化した世界に対して、キリスト教を改新する運動の前線にいることは間違いない。

 エンマ・パーシー司祭は言う:「神が男性として表現されているという理由だけで、女性がこの世においてキリストを顕すのに、神聖さや能力において(男性に比べて)より低いと自分自身を見做すのは、正しくないことである。」

 WATCHのヒラリー・コットン代表は、キリスト教の神の男性的イメージは、非常に古く、「ローマ帝国から派生し、王や主、父というアイデンティティーに、最も重要な神を同一化する習慣から由来する。しかし、それでは神の真正な御心に従っていない。なぜなら、神はただ一つのイメージに結びつけることはできないし、私達が理解できることより遥かに偉大だからである。」

 もうひとりの女性司祭、聖マリーと聖マルティン教会の司教代理ケイト・ボットゥリーは、祈祷や典礼の中から、神に関する男性的言及を可能な限り取り除き始めた、と認めた。

 英国聖公会において非常に人気のある祈祷の中で、神が自分の子供たちを優しく気遣う「母」に喩えられている。ルチアー二教皇(ヨハネ・パウロ1世)もまた一度こう言った:「神は父であり、さらに母である」。

エンリーコ・フランチェスキーニ

  2015年6月1日付、イタリアの全国紙レプッブリカの記事の和訳である。

 サタンは、主なる神が天地創造のおいて定めた霊的秩序に反抗し、自分の地位を守ろうとせず、その居るべき所を捨てて、罪を犯した。そして最も狡猾であった蛇を通して、エバを誘惑し、神の位格とその言葉の完全性に関する疑いを植え付け、真理に偽りを混ぜた言葉によって、神の御心を「書き換えた」。

創世記3:1-5

1 さて主なる神が造られた野の生き物のうちで、へびが最も狡猾であった。へびは女に言った、「園にあるどの木からも取って食べるなと、ほんとうに神が言われたのですか」。

2 女はへびに言った、「わたしたちは園の木の実を食べることは許されていますが、

3 ただ園の中央にある木の実については、これを取って食べるな、これに触れるな、死んではいけないからと、神は言われました」。

4 へびは女に言った、「あなたがたは決して死ぬことはないでしょう。

5 それを食べると、あなたがたの目が開け、神のように善悪を知る者となることを、神は知っておられるのです」。

創造者に対する被造物としての立場と役割、

主人に対する僕(しもべ)として立場と役割、

キリストに対するその花嫁としての教会の立場と役割、

男として、また女として、

自分の立場と役割を理解し、喜びと従順さをもって受け入れる心は幸いである。

 キリストはその完璧な見本と霊を与えてくださった。これが、性別にかかわらず、人間として与えられている最も崇高で幸いな在り方だと信じる。

ピリピ2:3-13

3 何事も党派心や虚栄からするのでなく、へりくだった心をもって互に人を自分よりすぐれた者としなさい。

4 おのおの、自分のことばかりでなく、他人のことも考えなさい。

5 キリスト・イエスにあっていだいているのと同じ思いを、あなたがたの間でも互に生かしなさい。

6 キリストは、神のかたちであられたが、神と等しくあることを固守すべき事とは思わず、

7 かえって、おのれをむなしうして僕のかたちをとり、人間の姿になられた。その有様は人と異ならず、

8 おのれを低くして、死に至るまで、しかも十字架の死に至るまで従順であられた。

9 それゆえに、神は彼を高く引き上げ、すべての名にまさる名を彼に賜わった。

10 それは、イエスの御名によって、天上のもの、地上のもの、地下のものなど、あらゆるものがひざをかがめ、

11 また、あらゆる舌が、「イエス・キリストは主である」と告白して、栄光を父なる神に帰するためである。

12 わたしの愛する者たちよ。そういうわけだから、あなたがたがいつも従順であったように、わたしが一緒にいる時だけでなく、いない今は、いっそう従順でいて、恐れおののいて自分の救の達成に努めなさい。

13 あなたがたのうちに働きかけて、その願いを起させ、かつ実現に至らせるのは神であって、それは神のよしとされるところだからである。