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夜明けとなって、明けの明星が心の中に上るまで

生けるキリストを求めて(46)マクペラの墓

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創世記23:12-20

12 アブラハムはその地の民の前で礼をし、

13 その地の民の聞いているところでエフロンに言った、「あなたがそれを承諾されるなら、お聞きなさい。わたしはその畑の代価を払います。お受け取りください。わたしの死人をそこに葬りましょう」。 

14 エフロンはアブラハムに答えて言った、

15 「わが主よ、お聞きなさい。あの地は銀四百シケルですが、これはわたしとあなたの間で、なにほどのことでしょう。あなたの死人を葬りなさい」。

16 そこでアブラハムはエフロンの言葉にしたがい、エフロンがヘテの人々の聞いているところで言った銀、すなわち商人の通用銀四百シケルを量ってエフロンに与えた。

17 こうしてマムレの前のマクペラにあるエフロンの畑は、畑も、その中のほら穴も、畑の中およびその周囲の境にあるすべての木も皆、

18 ヘテの人々の前、すなわちその町の門にはいるすべての人々の前で、アブラハムの所有と決まった。

19 その後、アブラハムはその妻サラをカナンの地にあるマムレ、すなわちヘブロンの前のマクペラの畑のほら穴に葬った。

20 このように畑とその中にあるほら穴とはヘテの人々によってアブラハムの所有の墓地と定められた。 

 アブラハムが妻サラを葬るためにエフロンから通用銀四百シケル(1シケルは約11.4グラムだから、約4.5キログラム分の銀で購入したことになる。)で購入したマクペラの土地。そこにある洞穴は、現在、ユダヤ教やイスラム教においても聖地として扱われている。サラだけでなく、アブラハムやイサク、ヤコブ、そしてイサクの妻リベカ、ヤコブの妻レアが同じ墓の中に葬られているからである。

 しかしこのような場所に必ずつきものの言い伝えや伝説、習慣などよりも遥かに重要な啓示が、聖書を通して私達に与えられている。それは父と子と孫に至る三代の信仰者と、彼らと同じように信仰によって生き抜いた妻たちが、証人の前で購入された墓の中に、共に葬られているということである。勿論、物質的空間としての墓が重要なのではない。それはイエス・キリストの言葉からも理解できる。

マタイ22:31-32

31 また、死人の復活については、神があなたがたに言われた言葉を読んだことがないのか。

32 『わたしはアブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神である』と書いてある。神は死んだ者の神ではなく、生きている者の神である」。 

 主なる神は、大昔に死んでしまった人々によって代表される神ではなく、死んで墓に葬られたがその魂は今も生きている者の神である。

 それではマクペラは現代に生きる私達にとって何を意味しているのだろうか。それは、イエス・キリストを信じる者すべてが必ず経験する「キリストと共に十字架の上で死に、キリストと共に葬られる霊的体験」である。

ローマ6:3-5

3 それとも、あなたがたは知らないのか。キリスト・イエスにあずかるバプテスマを受けたわたしたちは、彼の死にあずかるバプテスマを受けたのである。

4 すなわち、わたしたちは、その死にあずかるバプテスマによって、彼と共に葬られたのである。それは、キリストが父の栄光によって、死人の中からよみがえらされたように、わたしたちもまた、新しいいのちに生きるためである。

5 もしわたしたちが、彼に結びついてその死の様にひとしくなるなら、さらに、彼の復活の様にもひとしくなるであろう。 

コロサイ2:12

あなたがたはバプテスマを受けて彼と共に葬られ、同時に、彼を死人の中からよみがえらせた神の力を信じる信仰によって、彼と共によみがえらされたのである。

 マクペラの購入がヘテ人の前で公に行われたように、全人類を代表する神の子キリストが、民の面前において十字架の上で死に、葬られたことによって、時間や空間、文化、人種、性別を超えて全ての信仰者が、「キリストの死の中にバプタイズされ(were baptized into his death) 、キリストと共に葬られたのである。それはキリストの死の様と同一化することであり、キリストの死の全ての「恩恵」(「律法の呪いからの解放」「罪からの解放」「死からの解放」)に与ることである。

ローマ6:6-11

6 わたしたちは、この事を知っている。わたしたちの内の古き人はキリストと共に十字架につけられた。それは、この罪のからだが滅び、わたしたちがもはや、罪の奴隷となることがないためである。

7 それは、すでに死んだ者は、罪から解放されているからである。

8 もしわたしたちが、キリストと共に死んだなら、また彼と共に生きることを信じる。

9 キリストは死人の中からよみがえらされて、もはや死ぬことがなく、死はもはや彼を支配しないことを、知っているからである。

10 なぜなら、キリストが死んだのは、ただ一度罪に対して死んだのであり、キリストが生きるのは、神に生きるのだからである。

11 このように、あなたがた自身も、罪に対して死んだ者であり、キリスト・イエスにあって神に生きている者であることを、認むべきである。 

 キリストは全ての世代の信仰者に備えられた「マクペラ」であり、そこで全ての信仰者がキリストの中で一体となる。「アブラハムと妻サラ」「イサクとその妻リベカ」「ヤコブとその妻レア」がマクペラで一つになったように、キリストの死と復活を通してのみ、「キリストとその花嫁である教会」が完全に一体となり、「信仰者同士の完全な交わり」が与えられるのである。

 

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