an east window

夜明けとなって、明けの明星が心の中に上るまで

イタリアのとあるレストランのメニュー(1)

 ちょっと息抜き。

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Tiramisù della casa ハウスはティラミスを作った

Torta della nonna おばあちゃんのパイ

Macedonia di frutta フルーツサラダ

Frutta di stagione [1 pezzo] シーズンのフルーツは、[1個]を

Affogato con whisky o cognac と溺れたウイスキーやコニャック

Liquori nazionali ナショナルリキュール

Liquori esteri 外国のアルコール

Infuso ザ

 おそらくイタリアに観光に来た日本人の方が、観光客相手のどこかのレストランで、でてきたメニューを写真に撮ったのだろう。確かにイタリア語が理解できないで、日本語だけで読んだら、実に想像膨らむメニューである。

「ハウスはティラミスを作った」

「と溺れたウイスキーやコニャック」

「ザ」

 ちなみに、「ザ」は「The」(イタリア語で「テ」と読み、「お茶」を意味する単語)を英語読みして、カタカナに書き換えている。翻訳という概念を突き抜けていて、感動的でさえある。何がどんな風にでてくるか。私だったらきっと好奇心で注文してしまうようなメニューである。

 実際、ウェイターを呼んで『と溺れたウィスキーやコニャック』を指さしながら注文すれば、彼はそれが何であるか理解しているから、しばらくしたら「ウィスキーもしくはコニャックが上にたっぷりかかっているジェラート」をもってきてくれるだろう。あなたは目の前に置かれたものを見て、その香りを嗅ぎ、一口それを味わうことで、『と溺れたウィスキーやコニャック』が何であるか体験し、理解し、それを誰かに伝えることができるだろう。

 ある意味、『ザ』や『ハウスはティラミスを作った』というメニューを前に躊躇している状態は、何かを求めて聖書を読みはじめた人の状態に似ているかもしれない。「『救い』って何?」「『イエス・キリストの血によって罪が赦される』って、どういうこと?」「『ワーシップしましょう』って何すればいいの?」 

 教会で説教を聴いても、同じ日本語を話していることが信じられない程、チンプンカンプンかもしれない。否、信仰者であっても、理解できない啓示を前に戸惑うことはよくあることである。

 そのようなときは、心の中で私達の全てをご存じの方、私たちにとって最善のものを提供することができる方に祈れば、必ず答えてくださるだろう。その答えは、私達がなんとなく想像していたものかもしれないし、想像をはるかに超えるものかもしれない。すぐ目の前に顕れるかもしれないし、随分待たなくてはいけないかもしれない。それでも、聖書に啓示されている約束は必ず成就するのである。

ルカ11:9-13

9 そこでわたしはあなたがたに言う。求めよ、そうすれば、与えられるであろう。捜せ、そうすれば見いだすであろう。門をたたけ、そうすれば、あけてもらえるであろう。

10 すべて求める者は得、捜す者は見いだし、門をたたく者はあけてもらえるからである。 

11 あなたがたのうちで、父であるものは、その子が魚を求めるのに、魚の代りにへびを与えるだろうか。

12 卵を求めるのに、さそりを与えるだろうか。 

13 このように、あなたがたは悪い者であっても、自分の子供には、良い贈り物をすることを知っているとすれば、天の父はなおさら、求めて来る者に聖霊を下さらないことがあろうか」。 

ヤコブ1:5

あなたがたのうち、知恵に不足している者があれば、その人は、とがめもせずに惜しみなくすべての人に与える神に、願い求めるがよい。そうすれば、与えられるであろう。