自嘲の笑み - an east windowにおいて、「親族の悲劇的死」というプロパガンダのために起用された「クライシス・アクター」の悲しい例に挙げたが、今回も似た様な事例である。
Kayla Mueller's family press conference - YouTube
ISISに対するヨルダン空軍の爆撃で死亡したとされるアメリカ人Kayla Muellerの「友人」と「二人の叔母」の会見映像。
0.40からビデオの速度を落としてみると、以下のような映像が収録されている。
(静止画はそのままスクリーンショットで引き出したもので、一切映像加工していない。)
Kayla Mullerの「幼馴染のErvn Street」がマイクで話している後ろで、青いシャツを着た「Kaylaの友人」が「Kaylaの二人の叔母」に、突然舌を尖らして口から突き出している。
そしてスピーチの内容が書かれているA4紙で顔を隠し、何かを小声で語りかけている。
それを見た「二人の叔母」は、「友人」と一緒に口を開けて笑っている。白いシャツを着た方の「叔母」が直後のスピーチで見せている「悲しみの吐露」と比較すると、ここで見せている「笑い」は、実に不自然である。
今まで人生の中で多くの死に立ち会い、親族と共に悲しみの時を過ごす経験をしてきた。また多くの信仰者が、信仰的知識と人間的心情との狭間で揺れ動きながらも、神から来る聖霊の平安によって悲しみと真摯に向き合う気高い姿もみてきた。しかし映像のような表情や態度に出くわしたことは一度もない。
アメリカ人やヨーロッパ人の中で生活した方ならば理解できると思うが、「舌を丸めて出す」というジェスチャーは、国によって様々な意味があるとはいえ、一般的に「愚弄・揶揄・嘲笑・からかい」や、さらに下劣な意味を持っている。(イタリアに来たばかりの頃、日本人が舌を出すのと同じニュアンスでそのジェスチャーをしたら、イタリア人の友人に真剣な顔でたしなめられた経験がある)。少なくとも、友人や親族の悲劇的な死を追悼する心情では決して出てこない、出て来てはならない行為である。妙に出しゃばりに見える「友人」が、紙でそのジェスチャーを隠そうとしていること自体、その行為が公共の倫理観に反していることを証明している。
何も知らない、またはよく観察したり、異なる観点から考察することになれていない人々の感情移入を悪利用して、思考まで自分の目的のために操作しようとすることに何の抵抗も感じない人間がいることは、否定できない事実である。「騙される方が悪い」と言って、平気で嘘をつき、人を騙す人間は実際にいるのである。
そして信仰者にとっての問題は、教会の中までにこのような霊が浸透していることである。「神から任命された指導者」を自負する牧師・教師が、一般信徒の知識不足や無言・無力を足がかりに、感情移入を利用した説教によって、自分の目的達成のために教会員を利用するケースは、残念ながら少なくない。
マタイ24:4-13
4 そこでイエスは答えて言われた、「人に惑わされないように気をつけなさい。
5 多くの者がわたしの名を名のって現れ、自分がキリストだと言って、多くの人を惑わすであろう。
6 また、戦争と戦争のうわさとを聞くであろう。注意していなさい、あわててはいけない。それは起らねばならないが、まだ終りではない。
7 民は民に、国は国に敵対して立ち上がるであろう。またあちこちに、ききんが起り、また地震があるであろう。
8 しかし、すべてこれらは産みの苦しみの初めである。
9 そのとき人々は、あなたがたを苦しみにあわせ、また殺すであろう。またあなたがたは、わたしの名のゆえにすべての民に憎まれるであろう。
10 そのとき、多くの人がつまずき、また互に裏切り、憎み合うであろう。
11 また多くのにせ預言者が起って、多くの人を惑わすであろう。
12 また不法がはびこるので、多くの人の愛が冷えるであろう。
13 しかし、最後まで耐え忍ぶ者は救われる。
終わりの時に生きる信仰者は、人の惑わしに気をつけなければならないと同時に、蔓延る不法によって猜疑心に囚われ、イエス・キリストから受けた愛が心の中で冷めてしまうことにも抵抗しなければならない。
自戒を込めて、「蛇のように賢く、鳩のように純真であれ」、である。
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