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an east window

夜明けとなって、明けの明星が心の中に上るまで

生けるキリストを求めて(16)大洪水と箱舟という「神のおおげさ」

生けるキリストを求めて(旧約聖書の中のキリスト)

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創世記5:28,29

28 レメクは百八十二歳になって、男の子を生み、

29 「この子こそ、主が地をのろわれたため、骨折り働くわれわれを慰めるもの」と言って、その名をノアと名づけた。 

創世記6:8-12

8 しかし、ノアは主の前に恵みを得た。

9 ノアの系図は次のとおりである。ノアはその時代の人々の中で正しく、かつ全き人であった。ノアは神とともに歩んだ。

10 ノアはセム、ハム、ヤペテの三人の子を生んだ。

11 時に世は神の前に乱れて、暴虐が地に満ちた。

12 神が地を見られると、それは乱れていた。すべての人が地の上でその道を乱したからである。 

 神の思いから遠く離れ、それぞれ好き勝手な道を歩み、暴虐に満ちていた時代にノアは生を与えられた。彼の父は息子に「休み、休息、安楽」という名を与えたが、その期待とは裏腹に、彼が生きた世には魂の休まるところはなかった。

 そのような暴虐な世にあって、ノアは生ける神の恵みを信じ、それのみに心を委ね(「全き人」とは神に完全に心を委ねている人のことを指す)、そして神の御言葉に従って神と共に生きていた。そして神の啓示に従って、箱舟を造った。その信仰によって、ノアは神に義とされたのである。

へブル11:7

信仰によって、ノアはまだ見ていない事がらについて御告げを受け、恐れかしこみつつ、その家族を救うために箱舟を造り、その信仰によって世の罪をさばき、そして、信仰による義を受け継ぐ者となった。

 神の恵みを信じ、その信仰によって生きることによって神から正しいとされ、信仰による在り方によって「義を受け継ぐ者」「義の宣伝者」となったのである。

Ⅱペテロ2:5

また、古い世界をそのままにしておかないで、その不信仰な世界に洪水をきたらせ、ただ、義の宣伝者ノアたち八人の者だけを保護された。 

 重要な点は、ノアの義が彼の家族、妻と息子ら三人とそれぞれの妻らを救ったのではないということである。それぞれがノアと同じ信仰を持っていたからこそ、一緒に箱舟を造り、その中に入ったのである。実際、預言者エゼキエルの書には以下のように書かれている。

エゼキエル14:12-20

12 主の言葉が、またわたしに臨んだ、 

13 「人の子よ、もし国がわたしに、もとりそむいて罪を犯し、わたしがその上に手を伸べて、そのつえとたのむパンを砕き、これにききんを送り、人と獣とをそのうちから断つ時、

14 たといそこにノア、ダニエル、ヨブの三人がいても、彼らはその義によって、ただ自分の命を救いうるのみであると、主なる神は言われる。

15 もしわたしが野の獣にこの地を通らせ、これを荒させ、これを荒れ地となし、その獣のためにそこを通る者がないようにしたなら、

16 主なる神は言われる、わたしは生きている、たといこれら三人の者がその中にいても、そのむすこ娘を救うことはできない。ただ自分自身を救いうるのみで、その地は荒れ地となる。

17 あるいは、わたしがもし、つるぎをその地に臨ませ、つるぎよ、この地を行きめぐれと言って、人と獣とをそこから断つならば、

18 主なる神は言われる、わたしは生きている、たといこれら三人の者がその中にいても、そのむすこ娘を救うことはできない。ただ自分自身を救いうるのみである。

19 あるいは、わたしがもし、この地に疫病を送り、血をもってわが憤りをその上に注ぎ、人と獣とをそこから断つならば、

20 主なる神は言われる、わたしは生きている、たといノア、ダニエル、ヨブがそこにいても、彼らはそのむすこ娘を救うことができない。ただその義によって自分の命を救いうるのみである。 

 主なる神は、御自身のことを信じ、御言葉に従う八名の人間を地上に残すために、なぜ「わざわざ」大洪水を起こし、また「わざわざ」長さ133.5m、幅22.2m、高さ13.3mもの巨大な建造物をたった四人の男たちに造らせたのだろうか。動物も地上に残すためだったのだろうか。無から万物を創造された全能の神は、もっとシンプルな方法を選ぶことはできなかったのだろうか。不信仰な世界を裁くために「わざわざ」地上を水の底に沈める必要があったのだろうか。もし神が望むなら、一瞬で不義に生きる人々の命を取り上げることもできたはずである。

 この大洪水の「大げさな」スケールと、巨大な木造の舟の建造という「大げさな」プロセスには、罪に対する「神の怒り」と同時に、罪人に対する「神の無限の愛」が啓示されている。神は暴虐に生きていた人々に対して、「大げさな」箱舟の建造に必要であった時間を「悔い改めるために十分な期間」として与え、動物たちがそうしたように、もし罪人が悔い改めるなら誰でも中に入れるだけの十分なスペースを、「わざわざ」たった四人の男たちに造らせたのである。

 この箱舟建造による「おおげさな」プロセスは、御子キリストによって神が備えた救いの手段の予型である。それは箱舟建造とは比較にならない程の時間をかけて備えられた「神の救いの箱舟」であり、「神の独り子の死」という人知を超える代価によって神が成し遂げた救いの計画である。実際、十字架の上における御子の死には、大洪水以上に徹底的な「罪に対する神の怒り」が凝縮され啓示されていると同時に、全世界の信じる者がだれもが魂の救いを得ることができる程のスケールの「神の無限の愛」が示されているのである。

ローマ5:6-8

6 わたしたちがまだ弱かったころ、キリストは、時いたって、不信心な者たちのために死んで下さったのである。

7 正しい人のために死ぬ者は、ほとんどいないであろう。善人のためには、進んで死ぬ者もあるいはいるであろう。

8 しかし、まだ罪人であった時、わたしたちのためにキリストが死んで下さったことによって、神はわたしたちに対する愛を示されたのである。