an east window

夜明けとなって、明けの明星が心の中に上るまで

生けるキリストを求めて(13)セツ、そしてエノス

創世記4:25,26

25 アダムはまたその妻を知った。彼女は男の子を産み、その名をセツと名づけて言った、「カインがアベルを殺したので、神はアベルの代りに、ひとりの子をわたしに授けられました」。

26 セツにもまた男の子が生れた。彼はその名をエノスと名づけた。この時、人々は主の名を呼び始めた。 

創世記5:1-6

1 アダムの系図は次のとおりである。神が人を創造された時、神をかたどって造り、

2 彼らを男と女とに創造された。彼らが創造された時、神は彼らを祝福して、その名をアダムと名づけられた。

3 アダムは百三十歳になって、自分にかたどり、自分のかたちのような男の子を生み、その名をセツと名づけた。

4 アダムがセツを生んで後、生きた年は八百年であって、ほかに男子と女子を生んだ。

5 アダムの生きた年は合わせて九百三十歳であった。そして彼は死んだ。

6 セツは百五歳になって、エノスを生んだ。

 アベルを失い、カインも逃亡者として離れ離れになってしまったアダムとエバに、神はもう一人の子を授けた。「セツ」という名前の意味が示すように、それは彼らにとって再スタートの「土台、基礎」となる恵みであった。実際、「セツ」という名は、「置く」という動詞(25節において「授ける」と訳されている動詞)から派生した言葉である。主なる神がその憐みによって、子を失い絶望していた親のために再スタートの「土台(セツ)」を「置いた(シャト)」のである。

創世記4:25(新共同訳)

再び、アダムは妻を知った。彼女は男の子を産み、セトと名付けた。カインがアベルを殺したので、神が彼に代わる子を授け(シャト)られたからである。

 直訳だと「神がアベルの代わりに別の種を置かれた」とある。キングジェームス訳がそのニュアンスを訳出している。

And Adam knew his wife again; and she bare a son, and called his name Seth: For God, said she, hath appointed me another seed instead of Abel, whom Cain slew.  

 「カインの種」とは「異なる種」。その「異なる種」からエノス(またはエノシュ)が生まれることになる。「エノス」は、弱さ、脆さをもつ「人」を意味する。神の保護が約束されていたにもかかわらず、カインが逃亡の地ノドに町を建て、自分の力で自分を守ろうとしたのとは対照的に、エノスは自分の弱さを自覚し、それゆえ「人々は主の名を呼び始めた」のである。

 これはイエス・キリストの死と復活を通して、信じる者の心に新しい「命の種」が植えられ、自分自身の力や能力に頼るのではなく、自分の弱さ・脆さを自覚したうえで、イエス・キリストの命の力によって主なる神の名を呼び求め、彼に栄光を帰する人生を捧げることの予型である。

ピリピ3:3

神の霊によって礼拝をし、キリスト・イエスを誇とし、肉を頼みとしないわたしたちこそ、割礼の者である。

 「カインの種」から生まれた子孫は、後の大洪水によって完全に滅ぼされてしまった。対照的に、「セツの種」から生まれた子孫には、弱さの自覚の中に神の力を見出し、大洪水の裁きを通しても継続される信仰が与えられたのである。

Ⅱコリント12:7-10

7 そこで、高慢にならないように、わたしの肉体に一つのとげが与えられた。それは、高慢にならないように、わたしを打つサタンの使なのである。

8 このことについて、わたしは彼を離れ去らせて下さるようにと、三度も主に祈った。

9 ところが、主が言われた、「わたしの恵みはあなたに対して十分である。わたしの力は弱いところに完全にあらわれる」。それだから、キリストの力がわたしに宿るように、むしろ、喜んで自分の弱さを誇ろう。

10 だから、わたしはキリストのためならば、弱さと、侮辱と、危機と、迫害と、行き詰まりとに甘んじよう。なぜなら、わたしが弱い時にこそ、わたしは強いからである。