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夜明けとなって、明けの明星が心の中に上るまで

生けるキリストを求めて(10)嫉妬の霊

創世記4:1-8

1 人はその妻エバを知った。彼女はみごもり、カインを産んで言った、「わたしは主によって、ひとりの人を得た」。

2 彼女はまた、その弟アベルを産んだ。アベルは羊を飼う者となり、カインは土を耕す者となった。

3 日がたって、カインは地の産物を持ってきて、主に供え物とした。

4 アベルもまた、その群れのういごと肥えたものとを持ってきた。主はアベルとその供え物とを顧みられた。

5 しかしカインとその供え物とは顧みられなかったので、カインは大いに憤って、顔を伏せた。

6 そこで主はカインに言われた、「なぜあなたは憤るのですか、なぜ顔を伏せるのですか。

7 正しい事をしているのでしたら、顔をあげたらよいでしょう。もし正しい事をしていないのでしたら、罪が門口に待ち伏せています。それはあなたを慕い求めますが、あなたはそれを治めなければなりません」。

8 カインは弟アベルに言った、「さあ、野原へ行こう」。彼らが野にいたとき、カインは弟アベルに立ちかかって、これを殺した。 

 カインによる弟アベル殺害のエピソードについては、このブログでも何度か取り扱ってきた(下の関連記事参照)。今回は、唯一の弟を殺す動機として考えられる「嫉妬」について、キリストと関連して考察してみたい。

 この「嫉妬」という感情は、実に深い根を持っている。「主なる神がアベルとアベルの供え物を顧みられ、自分と自分の供え物を顧みられなかった」という理由だけで、自分の弟を殺してしまったカイン。主なる神の警告の言葉に背き行動を起こさせた、抑制が全く効かないほど強烈な衝動。これらの要素は、カインの嫉妬が霊的な根源をもっていることを暗示している。

 では実際にこの「嫉妬の霊」はどこから来るのか。

 サタンはもともと「光の天使」として、霊的被造物の頂点に位置する存在として神に造られた。彼の力と知恵をもって、創造主なる神の栄光とその計画の実現に従順に仕えるためであった。しかし光の天使は、神のかたちに造れた人間の救いを通して御子に栄光と誉が与えれることを知り、自分がその栄光を受けられないことに対して、御子を嫉妬し、神に反逆したのである。

 聖書はこの光の天使の堕落の詳細を記しておらず、バビロニアやツロの王を通して間接的にしか啓示していない。

イザヤ14:12-15

12 黎明の子、明けの明星よ、あなたは天から落ちてしまった。もろもろの国を倒した者よ、あなたは切られて地に倒れてしまった。

13 あなたはさきに心のうちに言った、『わたしは天にのぼり、わたしの王座を高く神の星の上におき、北の果なる集会の山に座し、

14 雲のいただきにのぼり、いと高き者のようになろう』。

15 しかしあなたは陰府に落され、穴の奥底に入れられる。

エゼキエル28:12-19

12 「人の子よ、ツロの王のために悲しみの歌をのべて、これに言え。主なる神はこう言われる、あなたは知恵に満ち、美のきわみである完全な印である。

13 あなたは神の園エデンにあって、もろもろの宝石が、あなたをおおっていた。すなわち赤めのう、黄玉、青玉、貴かんらん石、緑柱石、縞めのう、サファイヤ、ざくろ石、エメラルド。そしてあなたの象眼も彫刻も金でなされた。これらはあなたの造られた日に、あなたのために備えられた。

14 わたしはあなたを油そそがれた守護のケルブと一緒に置いた。あなたは神の聖なる山にいて、火の石の間を歩いた。

15 あなたは造られた日から、あなたの中に悪が見いだされた日まではそのおこないが完全であった。

16 あなたの商売が盛んになると、あなたの中に暴虐が満ちて、あなたは罪を犯した。それゆえ、わたしはあなたを神の山から汚れたものとして投げ出し、守護のケルブはあなたを火の石の間から追い出した。

17 あなたは自分の美しさのために心高ぶり、その輝きのために自分の知恵を汚したゆえに、わたしはあなたを地に投げうち、王たちの前に置いて見せ物とした。

18 あなたは不正な交易をして犯した多くの罪によってあなたの聖所を汚したゆえ、わたしはあなたの中から火を出してあなたを焼き、あなたを見るすべての者の前であなたを地の上の灰とした。

19 もろもろの民のうちであなたを知る者は皆あなたについて驚く。あなたは恐るべき終りを遂げ、永遠にうせはてる」。

 しかしこれらの地上の王たちが神のように崇められることを求めたことを示すことによって、悪の根源であるサタンの動機「いと高き者のようになろう」を啓示しているのである。また新約聖書もサタンの堕落に関して啓示している。

ユダ1:6

主は、自分たちの地位を守ろうとはせず、そのおるべき所を捨て去った御使たちを、大いなる日のさばきのために、永久にしばりつけたまま、暗やみの中に閉じ込めておかれた。 

 特にイエス・キリストを誘惑しようとした時や、やがて来る大患難の時に試みることが、サタンの太古から執念深く追求しつづけている野望を啓示している。

マタイ4:8-10

8 次に悪魔は、イエスを非常に高い山に連れて行き、この世のすべての国々とその栄華とを見せて

9 言った、「もしあなたが、ひれ伏してわたしを拝むなら、これらのものを皆あなたにあげましょう」。

10 するとイエスは彼に言われた、「サタンよ、退け。『主なるあなたの神を拝し、ただ神にのみ仕えよ』と書いてある」。

Ⅱテサロニケ2:2-4

2 霊により、あるいは言葉により、あるいはわたしたちから出たという手紙によって、主の日はすでにきたとふれまわる者があっても、すぐさま心を動かされたり、あわてたりしてはいけない。

3 だれがどんな事をしても、それにだまされてはならない。まず背教のことが起り、不法の者、すなわち、滅びの子が現れるにちがいない。

4 彼は、すべて神と呼ばれたり拝まれたりするものに反抗して立ち上がり、自ら神の宮に座して、自分は神だと宣言する。

黙示録13:4

また、龍がその権威を獣に与えたので、人々は龍を拝み、さらに、その獣を拝んで言った、「だれが、この獣に匹敵し得ようか。だれが、これと戦うことができようか」。

 サタンの中には善は存在しない。彼の唯一の目的は、神のように崇拝されることであり、それは父なる神が御子にのみ与えていることである。救われた罪びとは、御子の犠牲の死を通して自分達に示された神の無限の愛によって、神に感謝し、イエス・キリストを崇拝する。しかしサタンは、愛による真の崇拝を絶対に得られないことを良く知っているが故、人間の欲を利用して、罪の奴隷化したり、富や名声を与えたりして、その目的を果たそうとするのである。サタンにとって人間は、自分の邪悪な目的の実現のために必要な使い捨ての「駒」に過ぎない。「駒」が踏みつけられ捨てられようと、金箔に覆われていようと、彼にはどうでもよいことなのだ。自分が崇拝されさえすればいいのである。

 十戒の第十番目の戒め『あなたは隣人の家をむさぼってはならない。隣人の妻、しもべ、はしため、牛、ろば、またすべて隣人のものをむさぼってはならない』を、サタンの「嫉妬の霊」や「自分には与えられていないものを執念深く追求する霊」という観点から考察すると、「むさぼり」の根の深さに驚くのではないだろうか。

 

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