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夜明けとなって、明けの明星が心の中に上るまで

ナザレの謎(3)ナザレ人とナジル人

 福音書記者マタイが、

マタイ2:23

ナザレという町に行って住んだ。これは預言者たちによって、「彼はナザレ人と呼ばれるであろう」と言われたことが、成就するためである。

 と書いている時、旧約聖書のどの預言を差しているのだろうか。様々な解釈が為されてきたが(例えば、イザヤ11:1「エッサイの株から一つの芽が出、その根から一つの若枝が生えて実を結び」という箇所の「若枝」と和訳されている原語「nêtser」だと言う主張や、旧約聖書には書かれていない口承預言の一つである、という意見など)、率直に言って唯一考えられるのは、士師記13:5,7に書かれている、サムソンに対する御使いの預言である。

5 あなたは身ごもって男の子を産むでしょう。その頭にかみそりをあててはなりません。その子は生れた時から神にささげられたナジルびとです。彼はペリシテびとの手からイスラエルを救い始めるでしょう」。 

7 しかしその人はわたしに『あなたは身ごもって男の子を産むでしょう。それであなたはぶどう酒または濃い酒を飲んではなりません。またすべて汚れたものを食べてはなりません。その子は生れた時から死ぬ日まで神にささげられたナジルびとです』と申しました」。

 士師記はヘブライ語聖書において、預言者の書ネビーイームの前期預言者リショーニームに属しているから、マタイが「預言者たちによって」と書いたとしても矛盾はない。

 ここで「ナジルびと」と和訳されているヘブライ語は、「נזיר NZIR」で、その語根は「NZR」、「(聖なる目的のために)分離する、身を捧げる、など」という意味である。ちなみに旧約聖書のギリシャ語訳であるLXX訳において、バチカン写本では「ναζὶρ NAZIR」、アレクサンドリア写本では「ναζιραιον NAZIRAION」と訳されている。

 新約聖書にある「ναζωραιος NAZORAIOS」はギリシャ語であるが、当時の口語であるアラム語から派生した言葉であり、そのアラム語は「NAZORAI」である。

  • 方形文字によるヘブライ語(バビロニヤ捕囚から帰還以降のヘブライ語):NZR
  • アラム語(一世紀の口語):NAZORAI
  • ギリシャ語(新約聖書の言語):NAZORAIOS

 共通性があることは明らかである。また当時のヘブライ語には母音表記が無かったことも考慮すべきであろう。勿論、ヘブライ語「NZR」から派生し、長い年月によって異なる(もしくはより広範囲な)ニュアンスをもったことは確かであろう。

 このマタイの(私たちからすると)オーソドックスでない聖句引用は、神がサムソンのために備えたアイデンティティーと任務を、イエス・キリストの「解放者・救い主」そして「世の罪のために捧げられた神の僕」としてのアイデンティティーとに重ね合わせた、という可能性も十分あり得ると私個人としては考えている。

その子は生れた時から神にささげられたナジルびとです。

彼はペリシテびとの手からイスラエルを救い始めるでしょう。

その子は生れた時から死ぬ日まで神にささげられたナジルびとです。  

 

(4)へ続く

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