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an east window

夜明けとなって、明けの明星が心の中に上るまで

人間の完全性(?)と神の愛の顕現

「完全者意識」を持とう! 佐々木満男・国際弁護士 : 論説・コラム : クリスチャントゥデイ

「神は人間をご自身にそっくりに造られたからには、人間は完全に造られている。だからその完全性を現すように努力しなさい」というのが、聖書の言葉の真の意味なのではないでしょうか。「あなたはもともと完全に造られているのだから、あなたの言動をもって、その完全性を外に現しなさい」ということです。

 人の一生はいわば、「その人の内なる完全性を、どこまで外に現すことができるか」の歴史です。スポーツにせよ、芸術にせよ、学問にせよ、ビジネスにせよ、政治にせよ、もともと人間が持っている完全性を引き出して外側に現しているにすぎません。

  このメッセージは本当に聖書が伝えようとしていることだろうか。「神が完全であるように、完全な者になりなさい」というイエス・キリストの言葉は、本当に「私たちの内にもともと備えられている内在的・潜在的完全性を外に顕す」ことを指しているのだろうか。

 引用された聖句が置かれた文脈を見てみよう。

マタイ5:43-48

43 『隣り人を愛し、敵を憎め』と言われていたことは、あなたがたの聞いているところである。

44 しかし、わたしはあなたがたに言う。敵を愛し、迫害する者のために祈れ。

45 こうして、天にいますあなたがたの父の子となるためである。天の父は、悪い者の上にも良い者の上にも、太陽をのぼらせ、正しい者にも正しくない者にも、雨を降らして下さるからである。

46 あなたがたが自分を愛する者を愛したからとて、なんの報いがあろうか。そのようなことは取税人でもするではないか。

47 兄弟だけにあいさつをしたからとて、なんのすぐれた事をしているだろうか。そのようなことは異邦人でもしているではないか。

48 それだから、あなたがたの天の父が完全であられるように、あなたがたも完全な者となりなさい。 

 この文脈において、父なる神の完全性は「悪い者の上にも良い者の上にも、太陽をのぼらせ、正しい者にも正しくない者にも、雨を降らして下さる」という点において啓示されており、その父なる神の子としての信仰者に求められていることは、「敵を愛し、迫害する者のために祈れ」というものであり、「自分を愛していない者も愛し、信仰者以外とも愛をもって接せよ」ということである。

 これはイエス・キリストの十字架の死による罪の赦しを自分の身に経験した者にとって、不可能な戒めではない。むしろ、自分に対して降り注がれた神の愛の大きさゆえに、そして自分の弱さや罪深さを自覚してその神の愛を感謝すればするほど、自分でも驚くような平安と愛と真理をもって、「自分を愛していない者」と接することができることも、信仰者なら誰でも経験していることではないだろうか。

 勿論、信仰者のその愛も「完全」には程遠いし、むしろ肉の働きによって損なわれることが多いのが現実である。しかし、父なる神が認めているのは、御子イエス・キリストの完全性だけであり(へブル2:10;5:9;7:28)、私たちの思い込みによる「潜在的完全」ではない。だからこそ、父なる神は信じる者を「御子の中に」贖われたのである。

 私個人に対する神の愛は、私の内に宿る「完全なキリスト」によって実現するが、他者との共存においては、私たちが「キリストの完全な愛の中に宿っている」という自覚が必要である。その御子の内に神の愛の完全性があるのであり、私たちがその中に留まるなら、私たちの関係において実際に顕現するのである。それは個人の自己実現で完結するものではなく、「キリストの体」という集合的・共存的なものである。

Ⅰヨハネ4:7-21

7 愛する者たちよ。わたしたちは互に愛し合おうではないか。愛は、神から出たものなのである。すべて愛する者は、神から生れた者であって、神を知っている。

8 愛さない者は、神を知らない。神は愛である。

9 神はそのひとり子を世につかわし、彼によってわたしたちを生きるようにして下さった。それによって、わたしたちに対する神の愛が明らかにされたのである。

10 わたしたちが神を愛したのではなく、神がわたしたちを愛して下さって、わたしたちの罪のためにあがないの供え物として、御子をおつかわしになった。ここに愛がある。

11 愛する者たちよ。神がこのようにわたしたちを愛して下さったのであるから、わたしたちも互に愛し合うべきである。

12 神を見た者は、まだひとりもいない。もしわたしたちが互に愛し合うなら、神はわたしたちのうちにいまし、神の愛がわたしたちのうちに全うされるのである。

13 神が御霊をわたしたちに賜わったことによって、わたしたちが神におり、神がわたしたちにいますことを知る。

14 わたしたちは、父が御子を世の救主としておつかわしになったのを見て、そのあかしをするのである。

15 もし人が、イエスを神の子と告白すれば、神はその人のうちにいまし、その人は神のうちにいるのである。

16 わたしたちは、神がわたしたちに対して持っておられる愛を知り、かつ信じている。神は愛である。愛のうちにいる者は、神におり、神も彼にいます。

17 わたしたちもこの世にあって彼のように生きているので、さばきの日に確信を持って立つことができる。そのことによって、愛がわたしたちに全うされているのである。

18 愛には恐れがない。完全な愛は恐れをとり除く。恐れには懲らしめが伴い、かつ恐れる者には、愛が全うされていないからである。

19 わたしたちが愛し合うのは、神がまずわたしたちを愛して下さったからである。

20 「神を愛している」と言いながら兄弟を憎む者は、偽り者である。現に見ている兄弟を愛さない者は、目に見えない神を愛することはできない。

21 神を愛する者は、兄弟をも愛すべきである。この戒めを、わたしたちは神から授かっている。

 神の愛の完全性の顕れに関連して、興味深い記事があったので是非読んでいただきたい。

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