アハブ王に示された神の憐み(2)悔い改め
列王上21:27-29
27 アハブはこれらの言葉を聞いた時、衣を裂き、荒布を身にまとい、食を断ち、荒布に伏し、打ちしおれて歩いた。
28 この時、主の言葉がテシベびとエリヤに臨んだ、
29 「アハブがわたしの前にへりくだっているのを見たか。彼がわたしの前にへりくだっているゆえ、わたしは彼の世には災を下さない。その子の世に災をその家に下すであろう」。
預言者エリヤを通して語られた裁きの宣告を聞いた後に示したアハブ王の反応は、傍から見ると、名の知れぬ預言者が戒めの言葉を語った時や、ナボテがブドウ畑を売り渡すことを拒否した時にアハブが示した態度に非常に似ていたかもしれない。
列王上20:41-43
41 そこで彼が急いで目のほうたいを取り除いたので、イスラエルの王はそれが預言者のひとりであることを知った。
42 彼は王に言った、「主はこう仰せられる、『わたしが滅ぼそうと定めた人を、あなたは自分の手から放して行かせたので、あなたの命は彼の命に代り、あなたの民は彼の民に代るであろう』と」。
43 イスラエルの王は悲しみ、かつ怒って自分の家におもむき、サマリヤに帰った。
列王上21:4
アハブはエズレルびとナボテが言った言葉を聞いて、悲しみ、かつ怒って家にはいった。ナボテが「わたしは先祖の嗣業をあなたに譲りません」と言ったからである。アハブは床に伏し、顔をそむけて食事をしなかった。
「衣を裂き、荒布を身にまとい、食を断ち、荒布に伏し、打ちしおれて歩く」姿は、悲しみに打ち萎れ、食事され摂ろうとせず、床に臥す姿と表面的にはほとんど変わらなく見えたことだろう。
しかし人の心を知り尽くす全知の神は、アハブの心の中でうまれた「小さな動き」を見逃さなかった。
アハブがわたしの前にへりくだっているのを見たか。
勿論、主なる神はアハブのその後の選択も知っておられた。預言者ミカヤを通して語られる最終勧告を頑なに拒否することになることも知っておられた。だからこそ、アハブが生きている間の災いは見送ったものの、災いを下すこと自体は否定しなかったのである。
彼がわたしの前にへりくだっているゆえ、わたしは彼の世には災を下さない。その子の世に災をその家に下すであろう。
それでも主なる神は、アハブのこの時点における悔い改めを見下したり無視したりはしなかった。アハブの魂を愛し、何とか主の道に立ち帰らせようとしていたからである。
主イエス・キリストが弟子達に教えたことは、主なる神がイスラエルの民に対して実践していたことである。
ルカ17:3,4
3 あなたがたは、自分で注意していなさい。もしあなたの兄弟が罪を犯すなら、彼をいさめなさい。そして悔い改めたら、ゆるしてやりなさい。
4 もしあなたに対して一日に七度罪を犯し、そして七度『悔い改めます』と言ってあなたのところへ帰ってくれば、ゆるしてやるがよい」。
追記(2014年10月21日):
イスラエル王の名前を「アカブ」から日本語聖書の表記名「アハブ」に修正・統一しました。