an east window

夜明けとなって、明けの明星が心の中に上るまで

アハブ王に示された神の憐み(1)

列王上21:20-29

20 アハブはエリヤに言った、「わが敵よ、ついに、わたしを見つけたのか」。彼は言った、「見つけました。あなたが主の目の前に悪を行うことに身をゆだねたゆえ、

21 わたしはあなたに災を下し、あなたを全く滅ぼし、アハブに属する男は、イスラエルにいてつながれた者も、自由な者もことごとく断ち、

22 またあなたの家をネバテの子ヤラベアムの家のようにし、アヒヤの子バアシャの家のようにするでしょう。これはあなたがわたしを怒らせた怒りのゆえ、またイスラエルに罪を犯させたゆえです。

23 イゼベルについて、主はまた言われました、『犬がエズレルの地域でイゼベルを食うであろう』と。

24 アハブに属する者は、町で死ぬ者を犬が食い、野で死ぬ者を空の鳥が食うでしょう」。

25 アハブのように主の目の前に悪を行うことに身をゆだねた者はなかった。その妻イゼベルが彼をそそのかしたのである。

26 彼は主がイスラエルの人々の前から追い払われたアモリびとがしたように偶像に従って、はなはだ憎むべき事を行った。

27 アハブはこれらの言葉を聞いた時、衣を裂き、荒布を身にまとい、食を断ち、荒布に伏し、打ちしおれて歩いた。

28 この時、主の言葉がテシベびとエリヤに臨んだ、

29 「アハブがわたしの前にへりくだっているのを見たか。彼がわたしの前にへりくだっているゆえ、わたしは彼の世には災を下さない。その子の世に災をその家に下すであろう」。  

 引用した最後の句にある神の言葉は、イスラエルの王アハブのよこしまな人格、特に二十一章に出てくるナボテ殺害と略奪の背景を考えると、非常に驚くべき言葉である。自己中心的理由でナボテのブドウ畑を手に入れようとしたアハブは、ナボテの拒否に対して怒り、それを見たアハブの妻イゼベルは、偽りの証人を立ててナボテを殺し、畑を略奪した。それゆえ主なる神は預言者エリヤを遣わし、アハブに厳しい裁きの言葉を語らせた。その言葉を聞き、アハブは「衣を裂き、荒布を身にまとい、食を断ち、荒布に伏し、打ちしおれて歩」き、それを見て、主なる神は再びエリヤを遣わし、アハブに対する憐みを示したのである。

 主なる神は、アハブがまるでわがままな子供のような性格で、常に感情的に行動し、全く信頼できないことを知らなかったのだろうか。

列王上21:3,4

3 ナボテはアハブに言った、「わたしは先祖の嗣業をあなたに譲ることを断じていたしません」。

4 アハブはエズレルびとナボテが言った言葉を聞いて、悲しみ、かつ怒って家にはいった。ナボテが「わたしは先祖の嗣業をあなたに譲りません」と言ったからである。アハブは床に伏し、顔をそむけて食事をしなかった。

  勿論、主なる神は全てを知っておられた。それでもなお、憐みの心をアハブに示したのである。それは主なる神が憐み深い神であるからである。罪人の態度が少し良くなることによって、主なる神の性質が変化するのではない。むしろ、本質的に憐み深い神だからこそ、その憐みを罪びとに悟らせるために、必要に応じて厳しい裁きの言葉を使い、悔い改めに導こうとするのである。

 邪悪な王であったアハブの王政時期に、主なる神が預言者エリヤを始め、名もない預言者やナボテ、そしてたった一人真理をアハブに語った預言者ミカヤ(二十二章参照)など、決して妥協しない確固たるしもべ達をアハブに繰り返し、最後の最後まで遣わしていたのは決して偶然ではない。

 新約聖書が啓示しているように、神は正に「ひとりも滅びることがなく、すべての者が悔改めに至ること」を望んでおられるのである(Ⅱペテロ3:9)。