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夜明けとなって、明けの明星が心の中に上るまで

聖書を読むときに働きかける生ける神の霊の導き

詩篇119:130

み言葉が開けると光を放って、無学な者に知恵を与えます。 

エレミヤ33:3

わたしに呼び求めよ、そうすれば、わたしはあなたに答える。そしてあなたの知らない大きな隠されている事を、あなたに示す。

ルカ24:27

こう言って、モーセやすべての預言者からはじめて、聖書全体にわたり、ご自身についてしるしてある事どもを、説きあかされた。

ヨハネ14:26

しかし、助け主、すなわち、父がわたしの名によってつかわされる聖霊は、あなたがたにすべてのことを教え、またわたしが話しておいたことを、ことごとく思い起させるであろう。 

ヨハネ15:26

わたしが父のみもとからあなたがたにつかわそうとしている助け主、すなわち、父のみもとから来る真理の御霊が下る時、それはわたしについてあかしをするであろう。

へブル4:12

というのは、神の言は生きていて、力があり、もろ刃のつるぎよりも鋭くて、精神と霊魂と、関節と骨髄とを切り離すまでに刺しとおして、心の思いと志とを見分けることができる。

ヤコブ1:5

あなたがたのうち、知恵に不足している者があれば、その人は、とがめもせずに惜しみなくすべての人に与える神に、願い求めるがよい。そうすれば、与えられるであろう。 

 これらの聖句は、もし私達が心を開いて聖書を読むならば必ず経験する聖霊の働きを、様々な観点で啓示しているものである。その聖霊の働きは、実にダイナミックで、鋭く、常に新鮮で、驚きに満ち、人間の思惑や努力をはるかに超えるものである。なぜなら、聖霊なる神は、物言わぬ死んだ神ではなく、生きておられるからである。正に生ける神の「息吹」によって言葉が発せられ、神のことばとして人類に書き記されたからである。

 必要なことは、少年サムエルのように祈ることである。

Ⅰサムエル3:10

主はきて立ち、前のように、「サムエルよ、サムエルよ」と呼ばれたので、サムエルは言った、「しもべは聞きます。お話しください」。  

 他人の説教をそっくり真似て語るということは、上述のような生ける神の時に適った人格的導きの恵みをないがしろにし、常に湧き出る泉に背を向ける行為である。

エレミヤ2:13

「それは、わたしの民が二つの悪しき事を行ったからである。すなわち生ける水の源であるわたしを捨てて、自分で水ためを掘った。それは、こわれた水ためで、水を入れておくことのできないものだ。

 

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