御言葉の位置
教会史において、キリストの福音を宣べ伝えるための説教壇が、会衆の真正面の位置から移動され、説教壇の代わりに祭壇が置かれるようになったのは、礼拝における核心的要素の霊的・心理的変化と深く関わっている。
歴史は繰り返されるものである。キリストの福音の代わりに耳触りのいい作り話が語られ、「神様のため」というオブラートに包まれているが、実は自我の充足を隠れた目的とする感情的な音楽や落ち着きのないイベントが、ますます幅を利かせるようになってしまった。
Ⅱテモテ2:1-5
1 神のみまえと、生きている者と死んだ者とをさばくべきキリスト・イエスのみまえで、キリストの出現とその御国とを思い、おごそかに命じる。
2 御言を宣べ伝えなさい。時が良くても悪くても、それを励み、あくまでも寛容な心でよく教えて、責め、戒め、勧めなさい。
3 人々が健全な教に耐えられなくなり、耳ざわりのよい話をしてもらおうとして、自分勝手な好みにまかせて教師たちを寄せ集め、
4 そして、真理からは耳をそむけて、作り話の方にそれていく時が来るであろう。
5 しかし、あなたは、何事にも慎み、苦難を忍び、伝道者のわざをなし、自分の務を全うしなさい。