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an east window

夜明けとなって、明けの明星が心の中に上るまで

愛のしるし

シンボリズム 神の愛 十字架の言

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 ボローニャ旧市街を散歩していて、街の下を通る運河に面した通りの柵に、写真のような南京錠(今時、このような表現使う人はいないのかもしれないが・・・)がつけられていた。何年か前に知ったのだが、恋人同士がお互いの愛を誓って鍵をつける風習が流行っているらしい。ローマなどの観光名所では、そのあまりの鍵の数に深刻な問題となっていると、友人が説明してくれた。

 数ある鍵のなかで私の目を引いたのは、ハートを二つ合わせた形をした鍵で、よく見てみると鍵穴が全くないのである。一度鍵をしたら誰も外せない、というコンセプトなのだろう。二つの心がいつまでも結びついていることを願った「愛のしるし」のオブジェとして、メッセージが明確だと感心してしまった。

 しかし、主なる神が用意してくださった「愛のしるし」は、恋人同士のセンチメンタルな鍵とは違う意味で、私の心を絶えず惹きつける。それは、イエス・キリストの十字架である。もちろん、首にぶら下げたりするシンボルとしてのスマートな十字架のことではない。神の御子が私の罪の呪いを背負って下さった、その死そのものを表すものである。当時のローマ市民には適用することが許されていなかったほど、残酷かつ恥辱的な処刑方法で、誰もが目を背ける程、それは忌々しい死であった。しかし、その御子の死の中に、神は今でもご自身の愛を示し続けておられるのである。

ローマ5:5-8(新改訳)

5 この希望は失望に終わることがありません。なぜなら、私たちに与えられた聖霊によって、神の愛が私たちの心に注がれているからです。

6 私たちがまだ弱かったとき、キリストは定められた時に、不敬虔な者のために死んでくださいました。

7 正しい人のためにでも死ぬ人はほとんどありません。情け深い人のためには、進んで死ぬ人があるいはいるでしょう。

8 しかし私たちがまだ罪人であったとき、キリストが私たちのために死んでくださったことにより、神は私たちに対するご自身の愛を明らかにしておられます。

 そしてイエスの十字架は、罪びとのかしらである私の心と神の心を永遠に結び付ける、誰にも壊すことができない「愛の鍵」である。