パラッツォ・ボッキの碑文
ボローニャ市街地のゴイト通りにあるパラッツォ・ボッキのファザード。ボローニャ出身の人文学者アキッレ・ボッキ(1488-1562)の邸宅として1546年に建造され、後にボッキ自身が設立したアカデミア・ヘルマテナ(ヘルマテナという名は、ギリシャ神話のヘルメスとアテネの名前を融合したものである)となる。
ファザードに向かって右側には、古代ローマ時代の詩人ホラティウスの言葉が、ラテン語で刻まれている。
REX ERIS AIUNT SI RECTE FACIES
「もし公正に振る舞うなら、あなたは王となるだろう」と(人々は)言う。
そして左側には、詩篇120:2がヘブライ語で刻まれている。
「主よ、偽りのくちびるから、欺きの舌から、わたしを助け出してください」。
ボッキが無数にある聖書の言葉からこの聖句を選び、自分の邸宅のファザードに碑文として刻み込んだその真意はわからないが、実に意味深くないだろうか。王として国を治めるには、公正さが必要条件であるとしながらも、それだけでは不十分であると言いたいかのように、「偽りの唇と欺きの舌から身を守ってください」と主なる神に祈り求めている。
確かにあらゆる面において日々切磋琢磨することは大切である。しかし、たとい自分の努力が実り、周囲の人々に認められ、社会における地位と尊敬を得たとしても、主なる神の霊的・倫理的な守りと支えが無ければ、全ては儚く、そして虚しい。
詩篇127:1,2
1 ソロモンがよんだ都もうでの歌
主が家を建てられるのでなければ、建てる者の勤労はむなしい。
主が町を守られるのでなければ、守る者のさめているのはむなしい。
2 あなたがたが早く起き、おそく休み、辛苦のかてを食べることは、むなしいことである。
主はその愛する者に、眠っている時にも、なくてならぬものを与えられるからである。
マタイ16:26
たとい人が全世界をもうけても、自分の命を損したら、なんの得になろうか。
また、人はどんな代価を払って、その命を買いもどすことができようか。