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夜明けとなって、明けの明星が心の中に上るまで

「あなたの弟アベルは、どこにいるのか」

創世記4:8,9

8 カインは弟アベルに言った、「さあ、野原へ行こう」。彼らが野にいたとき、カインは弟アベルに立ちかかって、これを殺した。

9 主はカインに言われた、「弟アベルは、どこにいますか」。カインは答えた、「知りません。わたしが弟の番人でしょうか」。

 カインの親アダムが、エデンの園でサタンの誘惑に陥り、罪を犯した時、主なる神は「あなたはどこにいるのか」と問いかけた。勿論、全知の神は罪を犯したアダムがどこにいるか知っていたので、その問いかけはアダムに神から離れてしまったことを自覚させるためであった。

 その主なる神は、弟アベルを殺したカインに対して、「弟アベルは、どこにいますか」と問われた。当然、主なる神はカインがアベルを殺しことを知っておられた。しかしこの問いかけによって、カインの隣にいて共に助け合うべき存在だった唯一の弟がカインの暴力によって消し去られてしまった事実の重大さを、彼自身に自覚させるためだった。

 この主の問いかけは、二つの霊的意味において私達に投げかけられている。まず私達とイエス・キリストの関係においてである。私達の生活において、主であり兄弟であるイエス・キリストはどこにいるのだろうか。彼は十字架の死を通して、私達が捧げることができなかった供え物を父なる神の御前に捧げた。

ローマ3:25a

神はこのキリストを立てて、その血による、信仰をもって受くべきあがないの供え物とされた。

 父なる神はその供え物を喜んだ。しかし私達はどうだろうか。自分たちの罪の赦しのために命を捧げたキリストを喜んでいるだろうか。それとも、「まるで存在しない者」のように扱っているだろうか。

 カインが「知りません。わたしが弟の番人でしょうか」と答えた時、アベルの血の声は、土の中から主なる神に叫んでいた。

創世記4:10

主は言われた、「あなたは何をしたのです。あなたの弟の血の声が土の中からわたしに叫んでいます。

 しかし、イエス・キリストの注がれた血は、天から私達に力強く語りかけている。

へブル12:24

新しい契約の仲保者イエス、ならびに、アベルの血よりも力強く語るそそがれた血である。

 もう一つの霊的意味は、私達と隣人との関係におけるものである。本来私達の兄弟姉妹として「私達の隣にいるべき」人は、どこにいるだろうか。なぜ私達の隣にいないのか。私達は何をしたのか。彼は主に向かって叫んでいないだろうか。泣きながら主の前で訴えていないだろうか。教会のスキャンダルが後を絶たない状況で、この問いかけは全ての信仰者が自分のものとして受け止めるべきものである。

 

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