an east window

夜明けとなって、明けの明星が心の中に上るまで

新しい天と新しい地を待ち望む心

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Ⅱペテロ3:8-14

8 愛する者たちよ。この一事を忘れてはならない。主にあっては、一日は千年のようであり、千年は一日のようである。
9 ある人々がおそいと思っているように、主は約束の実行をおそくしておられるのではない。ただ、ひとりも滅びることがなく、すべての者が悔改めに至ることを望み、あなたがたに対してながく忍耐しておられるのである。
10 しかし、主の日は盗人のように襲って来る。その日には、天は大音響をたてて消え去り、天体は焼けてくずれ、地とその上に造り出されたものも、みな焼きつくされるであろう。
11 このように、これらはみなくずれ落ちていくものであるから、神の日の到来を熱心に待ち望んでいるあなたがたは、
12 極力、きよく信心深い行いをしていなければならない。その日には、天は燃えくずれ、天体は焼けうせてしまう。
13 しかし、わたしたちは、神の約束に従って、義の住む新しい天と新しい地とを待ち望んでいる。
14 愛する者たちよ。それだから、この日を待っているあなたがたは、しみもなくきずもなく、安らかな心で、神のみまえに出られるように励みなさい。

 「わたしたちは、神の約束に従って、義の住む新しい天と新しい地とを待ち望んでいる。」

 使徒ペテロと彼が手紙を書いた当時のクリスチャンたちが熱心に待ち望んでいたものは、「教会の携挙」や「キリストの地上来臨」、「キリストの千年王国」などの重要な出来事や時期を遥かに通り越して、神の義の住む「新しい天と新しい地」であった。

 この「新しい天と新しい地」の顕現は、ペテロより七百年以上前に、聖霊が預言者イザヤを通して啓示していたものである。

イザヤ65:17,18

17 見よ、わたしは新しい天と、新しい地とを創造する。さきの事はおぼえられることなく、心に思い起すことはない。
18 しかし、あなたがたはわたしの創造するものにより、とこしえに楽しみ、喜びを得よ。見よ、わたしはエルサレムを造って喜びとし、その民を楽しみとする。

 そして「新しい天と新しい地」は、黙示録に啓示されているように、キリストの千年王国の後にサタンが最終的に裁かれ、「第二の死」と呼ばれている「火と硫黄との池」に投げ込まれた後に顕れる、神の計画の最終的啓示である。

黙示録21:1-4

1 わたしはまた、新しい天と新しい地とを見た。先の天と地とは消え去り、海もなくなってしまった。
2 また、聖なる都、新しいエルサレムが、夫のために着飾った花嫁のように用意をととのえて、神のもとを出て、天から下って来るのを見た。
3 また、御座から大きな声が叫ぶのを聞いた、「見よ、神の幕屋が人と共にあり、神が人と共に住み、人は神の民となり、神自ら人と共にいまして、
4 人の目から涙を全くぬぐいとって下さる。もはや、死もなく、悲しみも、叫びも、痛みもない。先のものが、すでに過ぎ去ったからである」。 

  キリストの千年王国によって平和をもたらされた全地も、そして宇宙さえも消え去り、それに代わって全く新しい天と新しい地が顕れるのである。そしてその新しい創造の中心となる「新しいエルサレム」も天から顕れる。黙示録二十一章には、この「新しいエルサレム」の詳細な啓示がシンボリズムによって記述されている。特に興味深いのは、神殿と光に関する啓示である。

黙示録21:22,23

22 わたしは、この都の中には聖所を見なかった。全能者にして主なる神と小羊とが、その聖所なのである。
23 都は、日や月がそれを照す必要がない。神の栄光が都を明るくし、小羊が都のあかりだからである。

 そこにはユダヤ人が渇望している第三神殿も、目に見える宗教的祭儀を愛する人が慕うような聖所もなく、神の栄光を求める心の目でしか見ることができないキリストの光に照らされた霊的現実があるのみである。

 使徒ペテロは、この永遠の栄光の顕現を待ち望んでいたのである。そして、キリストを真に愛する者は誰も、ペテロを目の前にある地上の現実から逃避していた幻視者と裁くことはないだろう。