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an east window

夜明けとなって、明けの明星が心の中に上るまで

やもめの信仰と律法学者の偽善

聖書による検証 什一献金についての考察

マルコ12:41-44

41 イエスは、さいせん箱にむかってすわり、群衆がその箱に金を投げ入れる様子を見ておられた。多くの金持は、たくさんの金を投げ入れていた。
42 ところが、ひとりの貧しいやもめがきて、レプタ二つを入れた。それは一コドラントに当る。
43 そこで、イエスは弟子たちを呼び寄せて言われた、「よく聞きなさい。あの貧しいやもめは、さいせん箱に投げ入れている人たちの中で、だれよりもたくさん入れたのだ。
44 みんなの者はありあまる中から投げ入れたが、あの婦人はその乏しい中から、あらゆる持ち物、その生活費全部を入れたからである」。  

 このエピソードは、什一献金や献金を促すためによく引用される箇所である。「この貧しいやもめは、信仰によって持っていた生活費全てを献金した。だから私達も同じ信仰によって全てを捧げましょう。」という具合である。しかし、このエピソードの前後の記述を通して文脈を考察してみると、そのような解釈はかなり我田引水なものであることが理解できる。

 まず第一にこの極貧のやもめがレプタ硬貨二枚を献金した時、彼女は過越祭の直前のエルサレム神殿にいた。イスラエルの民にとって非常に重要なこの祭りのため、エルサレムの街や神殿はごった返しの状態だったと思われる。イエス・キリストは、十字架の死を目の前に控え、彼のことを受け入れようとしなかったパリサイ人や律法学者らに悔い改めのチャンスを与えるため、最後の説教をしていた。マタイ二十三章には、その聞いたら震え上がるようなイエスの強烈な言葉が記述されている。ちょうど、このやもめのエピソードの直前にも、イエスは律法学者の偽善について厳しく批判していた。

マルコ12:37b-40

37 大ぜいの群衆は、喜んでイエスに耳を傾けていた。
38 イエスはその教の中で言われた、「律法学者に気をつけなさい。彼らは長い衣を着て歩くことや、広場であいさつされることや、
39 また会堂の上席、宴会の上座を好んでいる。
40 また、やもめたちの家を食い倒し、見えのために長い祈をする。彼らはもっときびしいさばきを受けるであろう」。

 イエス・キリストが「律法学者に気をつけなさい。なぜなら、彼らはやもめたちの家を食い倒すからである」と言っていた矢先、この極貧のやもめが賽銭箱のところに来たのである。周りには立派な服をきた多くの金持ち(その多くがパリサイ人や律法学者など、当時のイスラエルの社会における宗教指導者の立場にいる人々であった)が、献金を投げ入れていた。

 しかしモーセの律法の中には、やもめに関する明確な戒めがあった。

出エジプト22:22,23

22 あなたがたはすべて寡婦、または孤児を悩ましてはならない。 

23 もしあなたが彼らを悩まして、彼らがわたしにむかって叫ぶならば、わたしは必ずその叫びを聞くであろう。  

申命記24:17-22

17 寄留の他国人または孤児のさばきを曲げてはならない。寡婦の着物を質に取ってはならない。
18 あなたはかつてエジプトで奴隷であったが、あなたの神、主がそこからあなたを救い出されたことを記憶しなければならない。それでわたしはあなたにこの事をせよと命じるのである。
19 あなたが畑で穀物を刈る時、もしその一束を畑におき忘れたならば、それを取りに引き返してはならない。それは寄留の他国人と孤児と寡婦に取らせなければならない。そうすればあなたの神、主はすべてあなたがする事において、あなたを祝福されるであろう。
20 あなたがオリブの実をうち落すときは、ふたたびその枝を捜してはならない。それを寄留の他国人と孤児と寡婦に取らせなければならない。
21 またぶどう畑のぶどうを摘み取るときは、その残ったものを、ふたたび捜してはならない。それを寄留の他国人と孤児と寡婦に取らせなければならない。
22 あなたはかつてエジプトの国で奴隷であったことを記憶しなければならない。それでわたしはあなたにこの事をせよと命じるのである。 

 そして律法の中には特に、エルサレムにおける数々の祭りの時にやもめや孤児などの社会的弱者と、主なる神の祝福から来る喜びを分ち合うように命じる戒めがあった。

申命記16:9-14

9 また七週間を数えなければならない。すなわち穀物に、かまを入れ始める時から七週間を数え始めなければならない。 

10 そしてあなたの神、主のために七週の祭を行い、あなたの神、主が賜わる祝福にしたがって、力に応じ、自発の供え物をささげなければならない。
11 こうしてあなたはむすこ、娘、しもべ、はしためおよび町の内におるレビびと、ならびにあなたがたのうちにおる寄留の他国人と孤児と寡婦と共に、あなたの神、主がその名を置くために選ばれる場所で、あなたの神、主の前に喜び楽しまなければならない。
12 あなたはかつてエジプトで奴隷であったことを覚え、これらの定めを守り行わなければならない。
13 打ち場と、酒ぶねから取入れをしたとき、七日のあいだ仮庵の祭を行わなければならない。
14 その祭の時には、あなたはむすこ、娘、しもべ、はしためおよび町の内におるレビびと、寄留の他国人、孤児、寡婦と共に喜び楽しまなければならない。

 このような神の命令が律法の中にあったにも関わらず、現実には、人々が驚嘆するような装飾で華々しく飾られた神殿の中で、派手な音を立てながらこれ見よがしに大金を賽銭箱に投げ入れている律法学者らに搾取され、極貧状態の中で生きていたやもめがいたのである。

 イエス・キリストは、偽善者たちに搾取されながらもかろうじて残されたすべてを神に捧げたやもめのその信仰を見、讃えながらも、それと同時に偽善者たちにやがて降り注ぐ厳しい裁きを宣告し、また目には見えないやもめの心の中にあった信仰の富とは対照をなす、神殿の見せかけの虚栄に対して、徹底的な神の裁きを預言した。

マルコ12:40

また、やもめたちの家を食い倒し、見えのために長い祈をする。彼らはもっときびしいさばきを受けるであろう」。 

マルコ13:1,2

1 イエスが宮から出て行かれるとき、弟子のひとりが言った、「先生、ごらんなさい。なんという見事な石、なんという立派な建物でしょう」。
2 イエスは言われた、「あなたは、これらの大きな建物をながめているのか。その石一つでもくずされないままで、他の石の上に残ることもなくなるであろう」。

 イエス・キリストはやもめに直接称賛の言葉をかけてはいない。周りにいた人々に対しても「彼女のように全財産を捧げなさい」とも教えていない。ただ人目に隠されていたやもめの純粋な信仰に光を当て、御子自身が称賛すると同時に、人々に注目され、人々の称賛を受けていた宗教家の偽善や地上的・表層的誇示に対して、神の厳しい裁きを宣告したのである。

 だからこのエピソードが伝える霊的メッセージは、献金に関するものではなく、むしろ以下のたとえ話が伝えている神の義認のメッセージに近いものである。

ルカ18:9-14

9 自分を義人だと自任して他人を見下げている人たちに対して、イエスはまたこの譬をお話しになった。
10 「ふたりの人が祈るために宮に上った。そのひとりはパリサイ人であり、もうひとりは取税人であった。
11 パリサイ人は立って、ひとりでこう祈った、『神よ、わたしはほかの人たちのような貪欲な者、不正な者、姦淫をする者ではなく、また、この取税人のような人間でもないことを感謝します。
12 わたしは一週に二度断食しており、全収入の十分の一をささげています』。
13 ところが、取税人は遠く離れて立ち、目を天にむけようともしないで、胸を打ちながら言った、『神様、罪人のわたしをおゆるしください』と。
14 あなたがたに言っておく。神に義とされて自分の家に帰ったのは、この取税人であって、あのパリサイ人ではなかった。おおよそ、自分を高くする者は低くされ、自分を低くする者は高くされるであろう」。