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an east window

夜明けとなって、明けの明星が心の中に上るまで

いつか、どうにかして

ローマ1:9-15

9 わたしは、祈のたびごとに、絶えずあなたがたを覚え、いつかは御旨にかなって道が開かれ、どうにかして、あなたがたの所に行けるようにと願っている。このことについて、わたしのためにあかしをして下さるのは、わたしが霊により、御子の福音を宣べ伝えて仕えている神である。
10 (9節に合節)
11 わたしは、あなたがたに会うことを熱望している。あなたがたに霊の賜物を幾分でも分け与えて、力づけたいからである。
12 それは、あなたがたの中にいて、あなたがたとわたしとのお互の信仰によって、共に励まし合うためにほかならない。
13 兄弟たちよ。このことを知らずにいてもらいたくない。わたしはほかの異邦人の間で得たように、あなたがたの間でも幾分かの実を得るために、あなたがたの所に行こうとしばしば企てたが、今まで妨げられてきた。

14 わたしには、ギリシヤ人にも未開の人にも、賢い者にも無知な者にも、果すべき責任がある。
15 そこで、わたしとしての切なる願いは、ローマにいるあなたがたにも、福音を宣べ伝えることなのである。

 この短い箇所だけでも、使徒パウロが如何にローマへ行ってキリストの福音を伝えることを切望していたか、ひしひしと伝わってくる。彼はそれを熱望し、そのために日々祈り、何度も実現しようと試みたにもかかわらず実現することが出来なくてさらに祈り、そのことに関してまるで大きな負債を抱えている者のように生きていた。聖霊の導きによって、必ず実現する神の計画の内に生きていたからである。勿論、彼はその計画の全容を理解しているわけではなかった。この手紙を書いたときは、まさかエルサレムで捕らわれ、二年間カイザリヤの牢獄で過ごし、地中海で何度も命を落としそうな目に遭遇しながらも、一人の囚人としてローマに到達することになるとは、夢にも思っていなかっただろう。イエス・キリスト自身、パウロに目的は啓示していたが、その目的に到達するために通るプロセスに関しては啓示していなかったからである。

使徒23:11

その夜、主がパウロに臨んで言われた、「しっかりせよ。あなたは、エルサレムでわたしのことをあかししたように、ローマでもあかしをしなくてはならない」。

 冒頭に引用した第十節の「いつか、どうにかして」というパウロの言葉と、使徒行伝に記録されているローマまでの現実に起きたプロセスのことを考えると、私達の人生において「いつ」「どのように」は必ずしも知る必要はなく、むしろ重要なことは主イエス・キリストから委ねられている「すべきこと」を繰り返し心に刻み込み、そのことに対して祈り続けることであることを悟るのである。