新たな「非識字者」が増えている:Facebookを読めても、現実は理解できない人たち « WIRED.jp
機能的非識字者は自分で文字を書けるのだから、一見、自立しているように思える。しかし彼らは、例えば保険の約款を理解できない。新聞に掲載されている記事の意味も分からないし、文章の要点をつかんだり、感動したりすることができない。図表を読み取ることができない。したがって、自分が生きている社会の構造を解釈し、把握することができない。
このような分析能力では、複雑さを忌避するのみならず、複雑な出来事(経済危機、戦争、国内もしくは国際政治、金融取引のスプレッド)を前にしても基本的な理解すら得ることができない。
したがって、機能的非識字者は、自身の直接的経験と比較することによってのみ、世界を解釈する(例:経済危機は自身の購買力の減少でしかない。ウクライナにおける紛争は、ガスの料金が増加して初めて問題となる。税金のカットは(それが公的サーヴィスのカットにつながるとしても)正しい)。そして、長期的な結果を考慮に入れた分析を練り上げる能力をもたない。
イタリアの一般社会のみならず、現代の教会内でも「機能的非識字者」は確実に増加していると思う。聖書が啓示するごく初歩的な教義に関しては一応理解し、他人に簡単な説明をすることもできるが、少しでも複雑な状況に対しては、神に知恵を祈り求めながら自分で分析したり、聖書と照らし合わせて原因や結果を理解しようとする努力を放棄し、影響力のある人の意見に自分の判断を委ねてしまう。もしくは、自分の感情や感覚を基準に判断し、「自分が感じられないこと」「自分が理解できないこと」を否定し、「わかりやすいこと」「不快感を与えないこと」を基準にして受け入れるのである。たといそれが聖書に啓示されている価値観や倫理性に明らかに反することでも、聖書的検証なしに受け入れてしまうのだ。もしくは何かがおかしいと感じていても、それに対して声を上げることもなく、周りの調子に合わせてしまう。聖書の真理から来る霊的力を受けていないからである。終わりの時の反キリストによる世界の宗教統一には、実に好都合な態度である。
利己主義と自己保身の「風見鶏」は、その時に吹く「風」によって小刻みに向きを変える。しかし私達の心は、十字架につけられたキリストにしっかり結びついて、永遠の救いに向き続けなければならない。
エペソ4:14,15
14 こうして、わたしたちはもはや子供ではないので、だまし惑わす策略により、人々の悪巧みによって起る様々な教の風に吹きまわされたり、もてあそばれたりすることがなく、
15 愛にあって真理を語り、あらゆる点において成長し、かしらなるキリストに達するのである。
Ⅱテモテ4:1-4
1 神のみまえと、生きている者と死んだ者とをさばくべきキリスト・イエスのみまえで、キリストの出現とその御国とを思い、おごそかに命じる。
2 御言を宣べ伝えなさい。時が良くても悪くても、それを励み、あくまでも寛容な心でよく教えて、責め、戒め、勧めなさい。
3 人々が健全な教に耐えられなくなり、耳ざわりのよい話をしてもらおうとして、自分勝手な好みにまかせて教師たちを寄せ集め、
4 そして、真理からは耳をそむけて、作り話の方にそれていく時が来るであろう。
5 しかし、あなたは、何事にも慎み、苦難を忍び、伝道者のわざをなし、自分の務を全うしなさい。