教会の政治形態とその霊(3)
たとえ新約聖書的な教会政治形態を適用したとしても、その霊と目的がずれていたら形式的なものでしかなく、様々な問題が発生してくることは避けられないことはすでに書き記した。
最も理想的なシステムを取り入れたとしても、共同体における聖書の学びと祈りの共有によって、霊と方向性を絶えず修正することは、必要不可欠である。例えば、複数の長老らによる合議制によって導かれていた、新約聖書に記録されている数々の教会には、何の問題も起こらず、理想的な形で成長していただろうか。パウロやバルナバ、ニゲルなどの預言者や教師がいた非常に霊的なアンテオケの教会には、問題がなかっただろうか。聖霊の導きによって宣教師として教会が送り出したパウロとバルナバは、意見の違いによって別行動することになった。
使徒13:1-4
1 さて、アンテオケにある教会には、バルナバ、ニゲルと呼ばれるシメオン、クレネ人ルキオ、領主ヘロデの乳兄弟マナエン、およびサウロなどの預言者や教師がいた。
2 一同が主に礼拝をささげ、断食をしていると、聖霊が「さあ、バルナバとサウロとを、わたしのために聖別して、彼らに授けておいた仕事に当らせなさい」と告げた。
3 そこで一同は、断食と祈とをして、手をふたりの上においた後、出発させた。
4 ふたりは聖霊に送り出されて、セルキヤにくだり、そこから舟でクプロに渡った。
使徒15:35-41
35 パウロとバルナバとはアンテオケに滞在をつづけて、ほかの多くの人たちと共に、主の言葉を教えかつ宣べ伝えた。
36 幾日かの後、パウロはバルナバに言った、「さあ、前に主の言葉を伝えたすべての町々にいる兄弟たちを、また訪問して、みんながどうしているかを見てこようではないか」。
37 そこで、バルナバはマルコというヨハネも一緒に連れて行くつもりでいた。
38 しかし、パウロは、前にパンフリヤで一行から離れて、働きを共にしなかったような者は、連れて行かないがよいと考えた。
39 こうして激論が起り、その結果ふたりは互に別れ別れになり、バルナバはマルコを連れてクプロに渡って行き、
40 パウロはシラスを選び、兄弟たちから主の恵みにゆだねられて、出発した。
41 そしてパウロは、シリヤ、キリキヤの地方をとおって、諸教会を力づけた。
「兄弟たちから主の恵みにゆだねられて」という表現が挿入されているところから推測すると、アンテオケの教会はパウロの判断に賛同していたのかもしれない。
またある時は、エルサレムの教会からきたユダヤ人のクリスチャンを通して教会内に偽善の霊が入り、教会の責任者の一人であったバルナバさえも引きずり込まれた。
ガラテヤ2:11-13
11 ところが、ケパがアンテオケにきたとき、彼に非難すべきことがあったので、わたしは面とむかって彼をなじった。
12 というのは、ヤコブのもとからある人々が来るまでは、彼は異邦人と食を共にしていたのに、彼らがきてからは、割礼の者どもを恐れ、しだいに身を引いて離れて行ったからである。
13 そして、ほかのユダヤ人たちも彼と共に偽善の行為をし、バルナバまでがそのような偽善に引きずり込まれた。
同じように複数の長老や執事らによって導かれ、福音宣教の支援に非常に熱心だったピリピの教会内において、奉仕者として重要な存在だった二人の姉妹たち、ユウオデヤとスントケは、仲違いしていたようである。
ピリピ4:2,3
2 わたしはユウオデヤに勧め、またスントケに勧める。どうか、主にあって一つ思いになってほしい。
3 ついては、真実な協力者よ。あなたにお願いする。このふたりの女を助けてあげなさい。彼らは、「いのちの書」に名を書きとめられているクレメンスや、その他の同労者たちと協力して、福音のためにわたしと共に戦ってくれた女たちである。
小アジアのエペソの教会は、偽使徒やニコライ宗のわざを聖霊によって識別し、それらの影響から教会を守るために戦っていた。しかし、信仰生活の基礎であり核である、キリストに対する「初めの愛」から離れてしまっていた。
黙示録2:1-7
1 エペソにある教会の御使に、こう書きおくりなさい。『右の手に七つの星を持つ者、七つの金の燭台の間を歩く者が、次のように言われる。
2 わたしは、あなたのわざと労苦と忍耐とを知っている。また、あなたが、悪い者たちをゆるしておくことができず、使徒と自称してはいるが、その実、使徒でない者たちをためしてみて、にせ者であると見抜いたことも、知っている。
3 あなたは忍耐をし続け、わたしの名のために忍びとおして、弱り果てることがなかった。
4 しかし、あなたに対して責むべきことがある。あなたは初めの愛から離れてしまった。
5 そこで、あなたはどこから落ちたかを思い起し、悔い改めて初めのわざを行いなさい。もし、そうしないで悔い改めなければ、わたしはあなたのところにきて、あなたの燭台をその場所から取りのけよう。
6 しかし、こういうことはある、あなたはニコライ宗の人々のわざを憎んでおり、わたしもそれを憎んでいる。
7 耳のある者は、御霊が諸教会に言うことを聞くがよい。勝利を得る者には、神のパラダイスにあるいのちの木の実を食べることをゆるそう』。
このように使徒時代の教会は、秩序を保ちながら平等性をもっていたシステムによって導かれていたが、様々な内的問題と戦っていたのである。否、むしろキリストと御言葉に真摯に従おうとしていたがゆえに、サタンによる激しい霊的攻撃を絶えず受けていたのだ。
結論として、聖書的な教会の政治形態は、複数の長老による合議性をもつものだと思うが、それよりも遥かに重要な要素は、自分たちがどのような存在として、またどのような使命と目的のためにこの世に生かされているのか、御言葉の鏡を通し、一個人レベルまた共同体レベルで、絶えず確認し、軌道修正し続けることであると確信する。