an east window

夜明けとなって、明けの明星が心の中に上るまで

影遊び

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コロサイ2:14-17

14 神は、わたしたちを責めて不利におとしいれる証書を、その規定もろともぬり消し、これを取り除いて、十字架につけてしまわれた。 

15 そして、もろもろの支配と権威との武装を解除し、キリストにあって凱旋し、彼らをその行列に加えて、さらしものとされたのである。 

16 だから、あなたがたは、食物と飲み物とにつき、あるいは祭や新月や安息日などについて、だれにも批評されてはならない。 

17 これらは、きたるべきものの影であって、その本体はキリストにある。  

  もしあなたがイエス・キリストを知り、彼を愛し、彼と顔を合わせて生きることを望みとしているのなら、「影遊び」をして自己満足に浸っているユダヤ教かぶれの人間の幼稚な批評に、あなたの心を騒がせる必要は全くない。聖霊による平安の内にあって、シンプルな心でキリストだけを求めていればいいのである。

 あなた自身、足りないことだらけのように感じるだろう。実際、私達は恵みによってキリストを内にいるのである。そしてキリストの中にこそ、私達を満たしている全てがある。

コロサイ2:9,10a

9 キリストにこそ、満ちみちているいっさいの神の徳が、かたちをとって宿っており、 

10 そしてあなたがたは、キリストにあって、それに満たされているのである。