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an east window

夜明けとなって、明けの明星が心の中に上るまで

聖書翻訳の「誤訳」「改竄」批判について

  先日の『「信仰による祝福」と「律法の行いによる呪い」』の続きを書いているところだが、聖書の翻訳に関して許容し難い考え方が出回っているので、中断してでも書く必要があると判断した。

 聖書の翻訳に関してと書いたが、ある特定の日本語訳の聖書に対して「誤訳聖書」「原文に忠実でない」と決めつけて、そのように教えている人々がいるからである。特定のバージョンの具体的な部分を指摘し、ヘブライ語やアラム語、ギリシャ語の相応の知識と文献学的プロセスを介して分析・根拠の提示・批判するならまだしも、そのような基本的な要素さえも踏まえないで、インターリニア聖書の対訳などと比較して、漠然と「誤訳」「原語に忠実でない」と言い切ってしまうのは、苦笑を通り越して痛みを感じるほど恥ずかしい行為である。本人の無知を曝け出す分には構わないが、真理を求めてシンプルな心で聖書を読もうとしている人々を混乱させていることは、看過すべき事態ではない。

 いささか極端な例だが、以下の記事を引用する。この回答者はどうやら回復訳が他の和訳よりも優れているという意見を主張するために、ギリシャ語や英訳、和訳の数々を引用し、「これが意味する事は日本の聖書の訳者はキリストの神格を認めない学派によって影響を受けている」という批判している。

 回復訳聖書について聞きたいのですが。 - Yahoo!知恵袋

「聖書の解説や訳しかたは正しいですか?」とのことですが、原文がギリシャ語ですから、その訳をする上で単語の選択は非常に難しいことです。実際は、回復訳に限らず世界中の翻訳聖書全ては「完全に正しい!」と言い切ることはできません。だから、どの聖書も改訂を繰り返します。重要なのは、原文に忠実な訳を心がけ続ける「姿勢」を持つかどうかで、それは訳者がどの様な立場に立っているかにかかっています。特に日本の聖書の訳者は、原文よりも(キリストの神格を否定する)特定の学派に影響を受けています。

例えば、コロサイ2:9で用いられる「theotētos」というギリシャ語は「神格」を意味し、ここの節はキリストの神格を述べている箇所です。しかし、日本語の聖書でこの「theotētos」を「神格」と訳している聖書はありません。大半の日本語訳はこの単語を「神性」や「神の満ち満ちたご性質」などと訳していますが、これは無知であるが故の「誤訳」なのか、意図的な「改竄」なのか、どちらにせよ原文に忠実ではないことは明らかです。英語の聖書は多くこの箇所を「Godhead」と訳しています。しかし、日本語の聖書でこの箇所を「神格」と訳した聖書が無い事は嘆かわしい事だと思います。これが意味する事は日本の聖書の訳者はキリストの神格を認めない学派によって影響を受けていると言う事であり、学派に逆らうことは出版社にとっても経済的リスクが大きいのであろうと思います。回復訳の日本語はここを「神たる方」と訳しており、解説にて「神格」に言及しています。英語、中国語では「Godhead」、「神格」となっています。今後の改訂では日本語もそれに習うことを期待しています。

コロサイ2:9

岩波訳
キリストの内に〔こそ〕神性の全き充満が形態化して宿っており、

新共同訳
キリストの内には、満ちあふれる神性が、余すところなく、見える形をとって宿っており、

前田訳
キリストのうちにこそ神性のあらゆる充満が体として住んでいるからです。

新改訳
キリストのうちにこそ、神の満ち満ちたご性質が形をとって宿っています。

塚本訳
・・・何故なら、彼の中には豊満なる神性が悉く形体を取って宿って居り、

口語訳
キリストにこそ、満ちみちているいっさいの神の徳が、かたちをとって宿っており、

回復訳聖書
なぜなら、キリストの中には、(*2)神たる方の全豊満が肉体のかたちをもって住んでいるからです.

For in Him dwells all the fullness of the Godhead bodily,(英語訳)
因為神格一切的豐滿,都有形有體的居住在基督裡面,(中国語訳)

解説2
これは、神格のことを言い、被造物によって表される神性(ローマ1:20)とは異なります。・・・
http://recoveryversion.jp/FunShow011.php?B=51_2_9_0_2

その他英語訳

King James Bible
For in him dwelleth all the fulness of the Godhead bodily.

American King James Version
For in him dwells all the fullness of the Godhead bodily.

American Standard Version
for in him dwelleth all the fulness of the Godhead bodily,

Douay-Rheims Bible
For in him dwelleth all the fulness of the Godhead corporeally;

その他
Darby Bible Translation
English Revised Version
Webster's Bible Translation
World English Bible
Young's Literal Translation
も「Godhead」を使用

  しかし、肝心の「theotētos」は神格とも神性とも訳すことはでき、彼が正しい英訳語だとしている「Godhead」も、神格もしくは神性という意味がある。さらに『広辞苑 第4版』によれば、「神格」は「神の格式。神としての資格」とあり、「神性」は「神の性格。神の属性」とある。『大辞泉』によれば、「神格」は「神としての資格。神の地位」という意味を持ち、「神性」は「神の性質。神としての性質」という意味である。日本語において、「神格」と「神性」は補完的関係にあり(神の属性が無ければ、神の資格はありえないし、神の性質が無ければ、神の地位などありえない)、「神性」と訳すことがキリストが神であることを否定している、などとは決して結論づけることはできないのである。

 さらにこの人は、岩波訳、新共同訳、前田訳、新改訳、塚本訳、口語訳、回復訳聖書と七つのバージョンをわざわざ引用しているが、「神性」という訳語は適当ではないという偏見があるために、これらの訳がすべてが「キリストの神格を否定している」と結論づけ、「嘆かわしい事」だと批判している。

 聖書翻訳という作業は、非常に専門的な知識と長い年月をかけた検証を基に生み出されるものであり、当然「完成」とか「完全」という言葉を使えるような分野ではないものの、表層的な批判・否定ができるほど単純ではないのである。

 勿論、ある翻訳聖書の特定の箇所で、原語のニュアンスが伝わりにくい翻訳のケースも実際あるわけだが、それをもって「誤訳」「意図的な改竄」、つまり悪意をもって言葉を変える行為だと断定するのは、恐ろしく稚拙な態度である。

 現代では、インターネットによって、原語の様々なバージョンを検証することもできる。また翻訳聖書に関しても、翻訳言語も時代も神学的立場も異なる神学者や聖書学者によって訳された様々なバージョンを比較できることは、正に素晴らしい恵みだと思う。たとえ原語の知識がなくとも、これらの翻訳バージョンを比較することによって、救いと信仰の成長のために理解の幅と深みを得ることは十分可能である。勿論、原語の知識があることは望ましいことだと思うが、真の霊的知識の獲得は、原語知識の有無で限定されるようなものでは決してない。最も重要で、必要不可欠な要素は、知恵である神の前に遜り、祈りの中で「主よ、私の心を照らしてください。私に語りかけてください。」と願い求めることである。

ヤコブ1:5

あなたがたのうち、知恵に不足している者があれば、その人は、とがめもせずに惜しみなくすべての人に与える神に、願い求めるがよい。そうすれば、与えられるであろう。 

 結論として、聖書研究や解釈を共有する場合、原語の直義を提示し、様々な翻訳聖書のバージョンを比較して、十分な文献学的根拠を示したうえで、「このような解釈もあり得るのではないだろうか」と提案するのが、神の真理に携わる者として、誠実で節度ある態度ではないだろうか。