an east window

夜明けとなって、明けの明星が心の中に上るまで

持ち主の所へ帰ったスペイン語聖書

 忌々しいスキャンダルによって躓き、礼拝に参加しなくなった人達と家庭礼拝を週に二回程捧げる恵みに与っている。御言葉と祈り、そして伴奏なしの讃美歌、という本質的な要素だけに絞り、ひたすら神の臨在に留まり、キリストの十字架を見上げ感謝し、深い傷に対する聖霊による慰めと癒しを求めるのが唯一の目的である。

 昨日は、ナポリ出身のある家族の家であったのだが、そこで非常に素晴らしい証しを聞いた。その家の主人ロッコは大手のスーパーマーケットで働いているが、一年半程前、彼の同僚が職場の駐車場で、馬の毛皮(!)のカバー付の分厚い真新しい聖書を見つけた。その同僚は、ロッコが熱心なクリスチャンであることを知っていたので、その聖書をロッコの所に持っていった。ロッコが聖書を開いてみると、スペイン語で書かれていて、「カルロス」という名前が入っているのを見つけた。しばらく事務所に保管されていたらしいが、持ち主が現れないので、ロッコの上司はクリスチャンのロッコに保管を委ねた。勿論、読めない言語で書かれた聖書を取っておいてもしょうがないと思ったが、捨てるのも忍びないので家の本棚に保管しておいたらしい。

 そして最近、ロッコの職場の清掃を請け負っている会社から、一人のペルー人が派遣されてきた。ロッコはいつものように自分の信仰の証しをしようと、彼に話かけたところ、そのペルー人は最近神のことを真剣に捜しはじめたところで、その前の日曜日にある福音派の教会に初めて行ったばかりだと明かした。そしてスペイン語の聖書を捜しているとロッコに相談したのである。その時、ロッコは家の本棚に眠っているあの聖書の事を思いだし、彼にその経緯を話したところ、何とその馬の毛皮のカバーつきの聖書は、そのペルー人がクリスチャンである叔母からプレゼントされたものだったことが判明したのである。プレゼントされた時は特に聖書に興味を持っていなかったので、いつの間にかどこかになくなってしまっていた、ということだった。実際、そのペルー人はカルロスという名で、その聖書は一年半ぶりに持ち主の所へ戻ったのである。

伝道3:11a

神のなされることは皆その時にかなって美しい。神はまた人の心に永遠を思う思いを授けられた。