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an east window

夜明けとなって、明けの明星が心の中に上るまで

「門の外」で見出す真のいのち

へブル13:7-14

7 神のみことばをあなたがたに話した指導者たちのことを、思い出しなさい。彼らの生活の結末をよく見て、その信仰にならいなさい。

8 イエス・キリストは、きのうもきょうも、いつまでも、同じです。

9 さまざまの異なった教えによって迷わされてはなりません。食物によってではなく、恵みによって心を強めるのは良いことです。食物に気を取られた者は益を得ませんでした。

10 私たちには一つの祭壇があります。幕屋で仕える者たちには、この祭壇から食べる権利がありません。

11 動物の血は、罪のための供え物として、大祭司によって聖所の中まで持って行かれますが、からだは宿営の外で焼かれるからです。

12 ですから、イエスも、ご自分の血によって民を聖なるものとするために、門の外で苦しみを受けられました。

13 ですから、私たちは、キリストのはずかしめを身に負って、宿営の外に出て、みもとに行こうではありませんか。

14 私たちは、この地上に永遠の都を持っているのではなく、むしろ後に来ようとしている都を求めているのです。

 私達の宗教心は、実は「門の外」に心の聖化の源泉があり、「宿営の外」にイエス・キリストの臨在があることを受け入れようとしない。いつも、「門の内」にある立派な建造物や宗教的行いの中に自分の魂を清めるものがあると思い、人だかりのある「宿営の中」にキリストの臨在がより豊かに啓示されると信じているのである。それは非常に潜在的なところで、「キリストの辱しめ」を身に負うことに神の祝福があることが認めようとしないからである。そう、「肉の思い」は時に激しく、時に静かだが妥協なしに、「キリストの辱しめを負うこと」を拒否するのである。

 「門の外」「宿営の外」には何があるのか。イエス・キリストの十字架である。二千年前のゴルゴタの丘において、罪深い人類の代わりに神の子イエスが十字架の上で死んだとき、霊的に私達も十字架に架けられて死んだのである。

ガラテヤ6:14

しかし、わたし自身には、わたしたちの主イエス・キリストの十字架以外に、誇とするものは、断じてあってはならない。この十字架につけられて、この世はわたしに対して死に、わたしもこの世に対して死んでしまったのである。

 この御子の十字架の死によって、神は「門の中の全て」を「新しい霊ではなく、古い肉に属するもの」「古いアダムに属するもの」 「永遠ではなく、一時的なもの」「滅びゆく地上的なもの」と見做していることを明確に啓示した。

 もし私達が「門の中」に自己実現を求めるなら、繁栄や健康、幸福、成功、名誉をもたらすものの中に神の手を見るが、病気や孤独、艱難などの中でキリストを見出すことが非常に困難になるだろう。七倍に熱した炉の中を歩むキリストを、荒れ狂う嵐の中で沈みかけている小舟の中に休むキリストを、死を通してのみ顕れる復活したキリストの命を知らないからである。

 しかし、「門の外」「宿営の外」に出て、「キリストの辱しめ」を負い、キリストを求め、キリストに近づこう者は、どのような状況においても、朽ちない命の源泉であるキリストを見出すだろう。

コロサイ3:1-11

1 このように、あなたがたはキリストと共によみがえらされたのだから、上にあるものを求めなさい。そこではキリストが神の右に座しておられるのである。 

2 あなたがたは上にあるものを思うべきであって、地上のものに心を引かれてはならない。 

3 あなたがたはすでに死んだものであって、あなたがたのいのちは、キリストと共に神のうちに隠されているのである。 

4 わたしたちのいのちなるキリストが現れる時には、あなたがたも、キリストと共に栄光のうちに現れるであろう。 

5 だから、地上の肢体、すなわち、不品行、汚れ、情欲、悪欲、また貪欲を殺してしまいなさい。貪欲は偶像礼拝にほかならない。 

6 これらのことのために、神の怒りが下るのである。 

7 あなたがたも、以前これらのうちに日を過ごしていた時には、これらのことをして歩いていた。 

8 しかし今は、これらいっさいのことを捨て、怒り、憤り、悪意、そしり、口から出る恥ずべき言葉を、捨ててしまいなさい。 

9 互にうそを言ってはならない。あなたがたは、古き人をその行いと一緒に脱ぎ捨て、 

10 造り主のかたちに従って新しくされ、真の知識に至る新しき人を着たのである。 

11 そこには、もはやギリシヤ人とユダヤ人、割礼と無割礼、未開の人、スクテヤ人、奴隷、自由人の差別はない。キリストがすべてであり、すべてのもののうちにいますのである。