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an east window

夜明けとなって、明けの明星が心の中に上るまで

キリストの命によって生きる

シンボリズム キリストにおいて

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 以前、ボローニャ市の中心街にあるマーケットの魚屋に随分威勢のいい兄さんがいて、魚が入ったケースを持ち上げては、小刻みに揺らし、しゃがれているのにやたらよく通るあの独特の声で、「生きてるよ、新鮮だよ、新鮮!」と叫んでいた。確かに、魚は箱の中で動いていた。彼が動かす通り、無抵抗に・・・。

 教会指導者が張り上げる声に合わせて、奉仕に右往左往することが、キリストの真の命をこの世に体現していることとは限らない。

 ある時は、その声は他人からのものでなく、自分の内側から迫ってくる「正義感」や「義務感」、「自尊心」「宗教的野心」かもしれない。

 激しく動けば動くほど、その原動力がどこから来るのか、祈りの中で確認する必要がある。

 キリストに属する私達は、孤独な荒野の奥に生えている無意味な柴のように感じるときも、及び難いほど高い絶壁の上に巣を構える習性を与えられた鷲のように思えるときも、キリストの燃え尽きない命によって燃え、キリストの新しい力によって空高く舞い上がるよう定められているのである。