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夜明けとなって、明けの明星が心の中に上るまで

キリストが十字架にかけられた日(4)

 「キリストが十字架に架けられた日」というテーマで共観福音書を検証したが、一番の難問はヨハネによる福音書にある記述の解釈である。特に以下の二箇所は共観福音書との調和を非常に困難にする。

ヨハネ18:28

それから人々は、イエスをカヤパのところから官邸につれて行った。時は夜明けであった。彼らは、けがれを受けないで過越の食事ができるように、官邸にはいらなかった。

ヨハネ19:14

その日は過越の準備の日であって、時は昼の十二時ころであった。ピラトはユダヤ人らに言った、「見よ、これがあなたがたの王だ」。

 この二節によると、イエス・キリストが捕えられ大祭司カヤパところからピラトの官邸に連行された夜明けには、少なくとも大祭司たちはまだ過越の食事をしておらず、それはその日が過越の準備の日、つまりアビブ(ニサン)の月の第十四日目だったからということになる。要するにイエスはこの日に午後三時、ちょうど過越の子羊が屠られる頃、十字架の上で息を引き取られたことになる。しかし共観福音書においては、第十四日目の午後は弟子達と共に過越の食事をするための場所へ行く頃という設定になっていて、丸一日ずれていることになるのだ。

 この共観福音書の記述とヨハネによる福音書のズレを解消するために、今までに色々な仮説が提示されたが、証拠が無いなどの理由で、決定的な解決案はまだ見つかっていない。「福音記者ヨハネは、一般的に使われていたユダヤ暦とは異なるクムラン暦を適用した」という説などは大変魅力的だが、客観的根拠に欠く仮説に留まっている。

 個人的には、特に使徒ヨハネが「イエス・キリストを世の罪を取り除くために神自身が備えてくださった『犠牲の子羊』である」という啓示を共観福音書よりも強調しているので(ヨハネ1:29、36)、過越の子羊が屠られていた同じ時刻に、御子は十字架の上で命を捧げてくださったことを強調する目的があったのではないかと推測している。少なくとも、共観福音書の記述との調和を犠牲にしてでも強調すべき重要な啓示であると、使徒ヨハネは霊感を受けていたと私は考える。確かにその啓示は、福音書のみならず、聖書全体のメッセージの核となるものである。「霊感」の教義的な前提によって、強引な解釈や根拠の乏しい仮説で取り繕うよりも、聖書という「神の啓示」の前で遜り、主なる神が伝えたい啓示を求め、理解できないところや知り得ないところに関しては、それを「そのまま」受容するというのが自分のいるべき立ち位置だと思っている。神が求めているのは、数学的に正確な知識の蓄積ではなく、真理を求める聖い信仰だからである。

 ヨハネの福音書にある安息日と除酵祭との関係については、以下の通りである。

ヨハネ19:31

さてユダヤ人たちは、その日が準備の日であったので、安息日に死体を十字架の上に残しておくまいと、(特にその安息日は大事な日であったから)、ピラトに願って、足を折った上で、死体を取りおろすことにした。  

ヨハネ19:42

その日はユダヤ人の準備の日であったので、その墓が近くにあったため、イエスをそこに納めた。 

 ここで言う「大事な安息日」とは、聖会のための安息日でもあった除酵祭の第一日目のことである。この日が週の第七日目の通常の安息日であったとは明記されていないので、共観福音書にあるように、通常の安息日が除酵祭の後にあったと思われる。

 これらのことを基に、ヨハネによる福音書の記述を時系列に並べると、以下のようになる。

  • 第十四日(準備の日)夕方日没後: 最後の晩餐(ヨハネの福音書は、この食事が過越しの食事であることを明記していない。実際、ユダヤ暦によれば子羊の肉を食べることはできなかったからである)
  • 第十四日 夜:ゲツセマネの園における祈り 
  • 第十四日 日の出前:逮捕 大祭司カヤパのところへ連行 ペテロの否定
  • 第十四日 正午近く:この時点でイエス・キリストはまだピラト前にいる(ヨハネ19:14)。この節の原文の「第六時」を共観福音書と調和させるために、ローマの時間で解釈し、「朝の六時」とする意見があるが、それならばイエスがサマリヤの女と井戸の近くで出会ったのも「朝の六時」であったと解釈しなければならないことになり、「当時、昼時に水を汲みに行く習慣はなかったので、サマリヤの女は一人であった」という解釈も使えないことになる。
  • 第十四日 日没前:十字架の上でのキリストの死、アリマテヤのヨセフとニコデモはキリストの遺体を引き取り、近くの墓に納める。
  • 第十五日(第十四日の日没後):除酵祭 聖会「大事な安息日」
  • 第十六日(第十五日の日没後):通常の安息日(第七日目の安息日)
  • 第十七日(第十六日の日没後):週の第一日 
  • 第十七日 日の出頃:マグダラのマリヤが墓に行く(ヨハネ20:1)

 この時系列だと「三日のうちに死人からよみがえる」というイエス・キリスト自身が語った復活の預言とも一致する。

ヨハネ2:19-22

19 イエスは彼らに答えて言われた、「この神殿をこわしたら、わたしは三日のうちに、それを起すであろう」。 

20 そこで、ユダヤ人たちは言った、「この神殿を建てるのには、四十六年もかかっています。それだのに、あなたは三日のうちに、それを建てるのですか」。 

21 イエスは自分のからだである神殿のことを言われたのである。 

22 それで、イエスが死人の中からよみがえったとき、弟子たちはイエスがこう言われたことを思い出して、聖書とイエスのこの言葉とを信じた。 

 

予備知識: 

ユダヤ暦においては、曜日は安息日以外は全て序数で呼ばれている。

  • Yom Rishon - 第一日
  • Yom Sheni - 第二日
  • Yom Shlishi - 第三日
  • Yom Reviʻi - 第四日
  • Yom Chamishi - 第五日
  • Yom Shishi - 第六日
  • Yom Shabbat - יום שבת 安息日(序数「第七 שׁביעי」と語根が似ている。韻を重要視したヘブライ語独特の表現で、創世記2:3原文を参照)

 また以下に引用した聖句において、「安息日」と訳されているギリシャ語原語と、「週の初めの日」の「週」と訳されている原語は、「sabbaton」で全く同じである。ヘブライ起源の言葉で、「週の初めの日」という表現も「Yom Rishon - 第一日」のヘブライ的概念をギリシャ語に適用して表現したものである。

マタイ28:1

さて、安息日が終って、週の初めの日の明け方に、マグダラのマリヤとほかのマリヤとが、墓を見にきた。

マルコ16:1,2

1 さて、安息日が終ったので、マグダラのマリヤとヤコブの母マリヤとサロメとが、行ってイエスに塗るために、香料を買い求めた。 

2 そして週の初めの日に、早朝、日の出のころ墓に行った。

ルカ24:1

週の初めの日、夜明け前に、女たちは用意しておいた香料を携えて、墓に行った。

ヨハネ20:1

さて、一週の初めの日に、朝早くまだ暗いうちに、マグダラのマリヤが墓に行くと、墓から石がとりのけてあるのを見た。 

(5)に続く