an east window

夜明けとなって、明けの明星が心の中に上るまで

キリストが十字架にかけられた日(3)

 モーセの律法によって制定された過越祭と除酵祭の日程と、共観福音書の記述と調和させると、過越祭の準備の日から週の初めの復活の日までを時系列に並べると以下のようになる。

  • アビブの月第14日の午後(日没前):過越の食事の準備(マタイ26:17-19;マルコ14:12-16;ルカ22:7-13)
  • 第15日(14日の日没後):過越の食事(マタイ26:20-30;マルコ14:17-26;ルカ22:14-38)
  • 第15日夜:ペテロの否定の預言とゲツセマネの園における祈り(寝ずの番)(マタイ26:30-46;マルコ14:27-42;ルカ22:39-46 ルカはペテロの否定の預言を過越の食事の時間に語られたこととしている。)
  • 第15日の日の出前:イエスの逮捕、弟子たちの逃亡、大祭司カヤパの家へ連行、サンヘドリンによる断罪、ペテロの否定(マタイ26:47-75;マルコ14:43-72;ルカ22;47-65 ルカによる福音書はサンヘドリンの断罪を日の出後の出来事として記録している。)
  • 第15日の日の出から午前9時まで:サンヘドリンの協議、ローマ総督ピラトへの引き渡し、ユダの死、ピラトの前におけるイエスの証し、バラバの釈放、イエスの磔刑(マタイ27:1-36;マルコ15:1-25;ルカ22:66-71;23:1-33)僅か四時間程の時間で、慌ただしく一連の出来事が起こったことが判る。この日は神聖なる安息日で、神に聖会を捧げる日であったことなど、まるで嘘のようである。
  • 第15日12時から15時:全地が暗くなる(マタイ27:45;マルコ15:33;ルカ23:44)
  • 第15日 15時:イエスが息を引きとる(マタイ27:46-50;マルコ15:34-37;ルカ23:45,46)
  • 第15日 日没前:アリマタヤのヨセフとニコデモによってイエスの遺体が引き取られ、墓に納められる(マタイ27:57-60;マルコ15:42-46;ルカ23:50-54)この日は除酵祭の第一日目で、聖会のための安息日であったが、第16日目の安息日のための「備えの日」と表現されている。
  • 第16日(15日の日没後から16日の日没まで):次の日が「週の初めの日」とあるので、この安息日は1週間に1日制定されていた通常の安息日であった。祭司長やパリサイ人たちが、ピラトに墓の番をつけるように要求し、墓に封印がされる(マタイ27:62-66)。この安息日にイエス・キリストの体が墓の中に納められていたことと、万物創造の第7日目にすべてのわざを終えて休まれた神と関連づけることは可能である。実際、キリストは十字架の上で「完了した」(ヨハネ19:30)と叫び、贖罪のわざを終えたことを宣言した。「罪のパン種」は、イエスの死による贖罪によって完全に取り除かれた。

創世2:1-3

1 こうして、天と地とそのすべての万象が完成された。

2 それで神は、第七日目に、なさっていたわざの完成を告げられた。すなわち、第七日目に、なさっていたすべてのわざを休まれた。

3 神はその第七日目を祝福し、この日を聖であるとされた。それは、その日に、神がなさっていたすべての創造のわざを休まれたからである。

  • 第17日 日出後:復活したイエス・キリストの顕現(マタイ28:1-10;マルコ16:1-10;ルカ24:1-11)
  • 第17日 日没前:復活したイエス・キリストがエマオへの道上で二人の弟子に顕れる。(マルコ16:12,13;ルカ24:13-32) 

 このようにモーセの律法を基に共観福音書を読むと、アビブ(ニサン)の月の第15日の午後3時頃にイエス・キリストは十字架の上で息を引き取られたことになる。個人的には、このユダヤ暦による日時に、現在の七曜制を適用することはあまり意味がないことだと思っている。なぜなら現在先進国などで一般的に使用されてい天体と関連づけた七曜制(月曜、火曜、水曜、木曜、金曜、土曜、日曜)の起源は、イエス・キリストが処刑された年より百年以上後に、ギリシャの占星術師Vettius Valens(西暦120年ー175年)によって書かれた『Anthologiarum』という本から派生し、ローマ帝国の中で徐々に伝えられていったものだと言われているからである。また、当時のユダヤ暦における「週の初めの日」が、同じ時代のヘレニズム文化において「何曜日」であったかを正確に知るのは、非常に複雑な問題だからである。

 だから私は、「日曜日から逆算して、主イエス・キリストが十字架に架けられた日は金曜日」という表現は、ただ便宜上のもので、重要な問題ではなり得ないと思っている。

 本当の難問は別の所にある。

)へ続く

 

追記(2015年9月28日)

 ユスティノス(100-162/168年)の著作『第一弁明』のLXVIIに、以下のような記述がある。

LXVII
3. そして「太陽の日」と呼ばれる日に、町や地方の住民の皆が一緒に集い、時間が許される限り、使徒たちの記録や預言者たちの書を読む。
7.神が暗闇や物質、つまりこの世界を造り変えた最初の日であるゆえ、太陽の日に皆一緒に集う。また私たちの主イエス・キリストは、この日に死から復活した。実際、土星(サトゥルヌス)の日の前日に(彼らは)彼を十字架に架け、土星の日の次の日、太陽の日に、使徒たちや弟子たちに姿を顕した。あなた方にも提示したこれらの教えをあなた方が検証するように、(イエス・キリストは)教えている。

 つまり二世紀中頃のローマにおいて、「太陽の日」(Sunday 日曜日)という表現が使われており、その日に信徒らが集い、礼拝をしていたということである。そしてその日は「週の初めの日」「主が復活した日」と認識されていたことになる。