O Come, Emmanuel - (Piano/Cello) - ThePianoGuys ...
個人的には、宗教的儀式や習慣としてのアドベント(降臨節)やクリスマス(降誕節)に聖書的根拠を全く見出せないが、原義における「アドベントゥス」(キリストの到来、ギリシャ語のエピファネイアに同じ意味)、つまりキリストの顕現を切望する一人の罪人として、この旋律には心に響くものを感じる。
実際、オリジナルのラテン語歌詞も英語歌詞も、そして日本語の讃美歌21の歌詞も、キリストの降誕のテーマに限定されない、より遠大な、救い主イエス・キリストによる神の民の贖いの完成に対する切なる祈りが表現されている。
①久しく待ちにし 救いの主来(きた)り
捕らわれの民(たみ)を 解き放ち給え
(くり返し)喜べ、インマヌエル 来(きた)り 救い給(たも)う
②この世に打ち勝つ 力の主 来(きた)り
勝利の言葉を 与えよ、我らに
(くり返し)
③闇(やみ)の夜(よ)を照らす 光の主来(きた)り
暗き雲払い 喜びを給(たま)え
(くり返し)
④我らを導く 望の主来(きた)り
御国(みくに)の扉を 今開き給(たま)え
(くり返し)
使徒パウロの主の顕現(エピファネイア)に対する言葉は、励ましに満ちている。
Ⅱテモテ4:8(岩波翻訳委員会訳)
あとは私に用意されているのは義の栄冠〔だけ〕だ。これは主が、かの日に私に与えてくれるものである、正しい裁き人〔であり〕、単に私に対してだけではなく、その顕現をずっと待ち望んで来たすべての人々に〔与えてくれる主が〕。