an east window

夜明けとなって、明けの明星が心の中に上るまで

ギベオンびとの教訓

ネヘミヤ3:7

その次にギベオンびとメラテヤ、メロノテびとヤドン、および川向こうの州の知事の行政下にあるギベオンとミヅパの人々が修理した。 

  聖書と真剣に向き合うようになると、それまではカタカナの羅列でしかなかった数々の人物名にプロフィールが伴うようになり、読み流していた箇所にも聖霊によるメッセージを読み取れるようになる。カタカナの名前が、実は自分と同じように信仰のために戦いながら神と共に歩こうとしていた人間であることを実感できるのは、本当に大きな慰めである。

 このギベオンびとメラテヤもその一人であると言えるかもしれない。彼はゼルバベルの指揮のもとに、七十年に及ぶバビロニア捕囚から第一回目に帰還した九十五人のギベオンびとの子孫である。

ネヘミヤ7:7,25

7 彼らはゼルバベル、エシュア、ネヘミヤ、アザリヤ、ラアミヤ、ナハマニ、モルデカイ、ビルシャン、ミスペレテ、ビグワイ、ネホム、バアナと一緒に帰ってきた者たちである。そのイスラエルの民の人数は次のとおりである。 

25 ギベオンの子孫は九十五人。 

  しかしこのギベオンびとメラテヤが、他のイスラエルの人々と共に、崩壊したままだったエルサレムの城壁を補修するために働いているという一見ありきたりの記述は、ギベオンという一つの民族の歴史を知ると全く違う意味をもってくる。別に難しい古代民族史の専門書を引っ張り出すまでもない。聖書の中に書いてある数々のストーリーを実際に読むことによって理解できるのである。

 元々カナンの地に住んでいたギベオンびとが最初にイスラエルの民と接触を持ったのは、モーセの指揮によってエジプトから解放されたイスラエルの民が、四十年の荒野を徘徊した後、ようやくヨシュアの指揮によってヨルダン川を越え、約束の地に入った時期であった。イスラエルが神の導きによってエリコやアイの町を聖絶したという噂を聞いたギベオンびとたちは、生き残りをかけてある策略を練った。

ヨシュア9:1-15

1 さて、ヨルダンの西側の、山地、平地、およびレバノンまでの大海の沿岸に住むもろもろの王たち、すなわちヘテびと、アモリびと、カナンびと、ペリジびと、ヒビびと、エブスびとの王たちは、これを聞いて、 

2 心を合わせ、相集まって、ヨシュアおよびイスラエルと戦おうとした。 

3 しかし、ギベオンの住民たちは、ヨシュアがエリコとアイにおこなったことを聞いて、 

4 自分たちも策略をめぐらし、行って食料品を準備し、古びた袋と、古びて破れたのを繕ったぶどう酒の皮袋とを、ろばに負わせ、 

5 繕った古ぐつを足にはき、古びた着物を身につけた。彼らの食料のパンは、みなかわいて、砕けていた。 

6 彼らはギルガルの陣営のヨシュアの所にきて、彼とイスラエルの人々に言った、「われわれは遠い国からまいりました。それで今われわれと契約を結んでください」。 

7 しかし、イスラエルの人々はそのヒビびとたちに言った、「あなたがたはわれわれのうちに住んでいるのかも知れないから、われわれはどうしてあなたがたと契約が結べましょう」。 

8 彼らはヨシュアに言った、「われわれはあなたのしもべです」。ヨシュアは彼らに言った、「あなたがたはだれですか。どこからきたのですか」。 

9 彼らはヨシュアに言った、「しもべどもはあなたの神、主の名のゆえに、ひじょうに遠い国からまいりました。われわれは主の名声、および主がエジプトで行われたすべての事を聞き、 

10 また主がヨルダンの向こう側にいたアモリびとのふたりの王、すなわちヘシボンの王シホン、およびアシタロテにおったバシャンの王オグに行われたすべてのことを聞いたからです。 

11 それで、われわれの長老たち、および国の住民はみなわれわれに言いました、『おまえたちは旅路の食料を手に携えていって、彼らに会って言いなさい、「われわれはあなたがたのしもべです。それで今われわれと契約を結んでください」』。 

12 ここにあるこのパンは、あなたがたの所に来るため、われわれが出立する日に、おのおの家から、まだあたたかなのを旅の食料として準備したのですが、今はもうかわいて砕けています。 

13 またぶどう酒を満たしたこれらの皮袋も、新しかったのですが、破れました。われわれのこの着物も、くつも、旅路がひじょうに長かったので、古びてしまいました」。 

14 そこでイスラエルの人々は彼らの食料品を共に食べ、主のさしずを求めようとはしなかった。 

15 そしてヨシュアは彼らと和を講じ、契約を結んで、彼らを生かしておいた。会衆の長たちは彼らに誓いを立てた。 

 ギベオンびとが、十節においてわざとイスラエルがエリコとアイの聖絶した出来事について言及しなかったのは、自分たちが如何にも遠い国から遥々きたかのように見せるためで、実際には彼らは自分たちの町の直ぐ近くで起きたことをよく知っていたのである。10:2には、ギベオンが「大きな町で、王国の都の一つのようであり、そこの人々はみな勇士であった」と書いてあるが、それにもかかわらずこのような策略で自分達の命を守ろうとしたのは、如何に彼らがイスラエルの神の力を恐れていたかを物語っている。イスラエルの民もヨシュアも神に知恵と導きを求めなかったので、まんまと騙され誓いを立てて彼らと契約してしまった。

ヨシュア9:16-27

16 契約を結んで三日の後に、彼らはその人々が近くの人々で、自分たちのうちに住んでいるということを聞いた。 

17 イスラエルの人々は進んで、三日目にその町々に着いた。その町々とは、ギベオン、ケピラ、ベエロテおよびキリアテ・ヤリムであった。 

18 ところで会衆の長たちが、すでにイスラエルの神、主をさして彼らに誓いを立てていたので、イスラエルの人々は彼らを殺さなかった。そこで会衆はみな、長たちにむかってつぶやいた。 

19 しかし、長たちは皆、全会衆に言った、「われわれはイスラエルの神、主をさして彼らに誓った。それゆえ今、彼らに触れてはならない。 

20 われわれは、こうして彼らを生かしておこう。そうすれば、われわれが彼らに立てた誓いのゆえに、怒りがわれわれに臨むことはないであろう」。 

21 長たちはまた人々に「彼らを生かしておこう」と言ったので、彼らはついに、全会衆のために、たきぎを切り、水をくむものとなった。長たちが彼らに言ったとおりである。 

22 ヨシュアは彼らを呼び寄せて言った、「あなたがたは、われわれのうちに住みながら、なぜ『われわれはあなたがたからは遠く離れている』と言って、われわれをだましたのか。 

23 それであなたがたは今のろわれ、奴隷となってわたしの神の家のために、たきぎを切り、水をくむものが、絶えずあなたがたのうちから出るであろう」。 

24 彼らはヨシュアに答えて言った、「あなたの神、主がそのしもべモーセに、この地をことごとくあなたがたに与え、この地に住む民をことごとくあなたがたの前から滅ぼし去るようにと、お命じになったことを、しもべどもは明らかに伝え聞きましたので、あなたがたのゆえに、命が危いと、われわれは非常に恐れて、このことをしたのです。 

25 われわれは、今、あなたの手のうちにあります。われわれにあなたがして良いと思い、正しいと思うことをしてください」。 

26 そこでヨシュアは、彼らにそのようにし、彼らをイスラエルの人々の手から救って殺させなかった。 

27 しかし、ヨシュアは、その日、彼らを、会衆のため、また主の祭壇のため、主が選ばれる場所で、たきぎを切り、水をくむ者とした。これは今日までつづいている。  

 イスラエルはギベオンびとの策略に騙されたとはいえ、自分たちの神に誓ってしまった建前、ギベオンびとを殺すようなことはできなかった。そこでヨシュアは彼らを薪を切り、水をくむ奴隷としたのである。

 その神の前で交わした契約のゆえに、ギベオンびとがカナンの地の五人の王の同盟軍に裏切り者と見做され襲われた時、イスラエルの民は彼らを助けた(10:1-11)。

 その後、元々ギベオン人が住んでいた町は、イスラエルのベンヤミン部族の領地となり、特に祭司アロンの子孫にギベオンとその放牧地が与えられたようである(ヨシュア18:21,25;21:17-19)。

歴代上8:29-33(新改訳)

29 ギブオンにはギブオンの父が住んだ。その妻の名はマアカ、

30 その子は、長子がアブドン、それにツル、キシュ、バアル、ナダブ、

31 ゲドル、アフヨ、ゼケル。

32 ミクロテはシムアを生んだ。彼らも、その兄弟たちとともにエルサレムに住み、その兄弟たちのすぐ前にいた。

33 ネルはキシュを生み、キシュはサウルを生み、サウルはヨナタン、マルキ・シュア、アビナダブ、エシュバアルを生んだ。

 ネルはギベオンに住み、ギベオンの「父」、つまり町を創立者、もしくは始祖となった。そしてネルからキシ(キシュ)が生まれ、キシからイスラエルの初代王となるサウルが生まれた。個人的には、なぜ歴代上9:35では「エイエル」と呼ばれ、サムエル記に書かれている系図では「アビエル」と呼ばれているかはわからない。

Ⅰサムエル9:1,2

1 さて、ベニヤミンの人で、キシという名の裕福な人があった。キシはアビエルの子、アビエルはゼロルの子、ゼロルはベコラテの子、ベコラテはアピヤの子、アピヤはベニヤミンびとである。 

2 キシにはサウルという名の子があった。若くて麗しく、イスラエルの人々のうちに彼よりも麗しい人はなく、民のだれよりも肩から上、背が高かった。 

  • 歴代誌による:ネル(エイエル)ーキシーサウル
  • サムエル記による:アビエルーキシーサウル

 仮説としては、ダビデの子ソロモンが、エディデヤ(ヤハウェを愛する者)というもう一つの名を主のために授かっていた(Ⅱサムエル12:25)ように、アビエル(神はわが父)はもう一つの名前だったのかもしれない。

 このギベオンの町から生まれ、近くの町ギブアで裕福になったベンヤミンびとの家出身で、イスラエルの初代王となったサウルが、ある時イスラエルの民の間で奴隷として平和に暮らしていたギベオンびとたちを虐殺した。

Ⅱサムエル21:1,2

1 ダビデの世に、年また年と三年、ききんがあったので、ダビデが主に尋ねたところ、主は言われた、「サウルとその家とに、血を流した罪がある。それはかつて彼がギベオンびとを殺したためである」。 

2 そこで王はギベオンびとを召しよせた。ギベオンびとはイスラエルの子孫ではなく、アモリびとの残りであって、イスラエルの人々は彼らと誓いを立てて、その命を助けた。ところがサウルはイスラエルとユダの人々のために熱心であったので、彼らを殺そうとしたのである。 

 「熱心だけで知識のないのはよくない。急ぎ足の者はつまずく。」(箴言19:2)とあるが、まさに使徒パウロがキリストの信仰を持つ前に、その知識の伴わない熱心さのゆえにクリスチャンを迫害したように、サウル王は「イスラエルとユダの人々のために」ギベオンびとを絶滅しようとした。おそらく、律法に「彼らを聖絶しなければならない」(申命記7:1,2)と書いてあるからといって、ヨシュアが彼らと交わした契約を無視し、神の御旨を祈って尋ねることもなく、虐殺を執行したのだろう。おそらく主の命令に背いてアマレクを聖絶しなかったことで、実質王位を失い、預言者サムエルからも見捨てられてしまったこと(Ⅰサムエル15)を、偽善的な熱心で「埋め合わせよう」としたのだろう。残念ながら、このような「汚れた良心による偽善的熱心」は、いまでも多くの犠牲者を出している。

 このように、自分たちが偽って神の民と契約を結んだという責任を負って、イスラエルの民の間で奴隷として生きていたギベオンびとらは、ベンヤミンびとに自分達の故郷を奪われただけでなく、そのベンヤミン族出身のサウルに神の契約を破って親族を虐殺されるという悲劇的なストーリーを持っていた。神の契約が踏みにじられたのだから、自分たちも奴隷という立場からの解放を要求することもできたかもしれない。またエルサレムがネブカデネザルによって破壊され、イスラエルの民がバビロニアに捕囚として連れて行かれた時、自分たちがイスラエルの民に属さないことを主張し、自己保身に走ることもできたはずである。もしくは、ゼルバベルやネヘミヤのエルサレム帰還を無視し、そのままバビロニアに残ることもできたはずである。しかし、ギベオンびとは神の民とエルサレムに帰り、「たきぎを切り、水をくむ」奴隷としてではなく、自ら進んで、主が選ばれた都の再建に命を捧げることを選んだのである。

 しかしこのことが可能になったのは、ただ単にギベオンが忍耐深かったからではなく、処理されていなかった「血の責任」がダビデによって償われたからである。

Ⅱサムエル21:3-14

3 それでダビデはギベオンびとに言った、「わたしはあなたがたのために、何をすればよいのですか。どんな償いをすれば、あなたがたは主の嗣業を祝福するのですか」。 

4 ギベオンびとは彼に言った、「これはわれわれと、サウルまたはその家との間の金銀の問題ではありません。またイスラエルのうちのひとりでも、われわれが殺そうというのでもありません」。ダビデは言った、「わたしがあなたがたのために何をすればよいと言うのですか」。 

5 かれらは王に言った、「われわれを滅ぼした人、われわれを滅ぼしてイスラエルの領域のどこにもおらせないようにと、たくらんだ人、 

6 その人の子孫七人を引き渡してください。われわれは主の山にあるギベオンで、彼らを主の前に木にかけましょう」。王は言った、「引き渡しましょう」。 

7 しかし王はサウルの子ヨナタンの子であるメピボセテを惜しんだ。彼らの間、すなわちダビデとサウルの子ヨナタンとの間に、主をさして立てた誓いがあったからである。 

8 王はアヤの娘リヅパがサウルに産んだふたりの子アルモニとメピボセテ、およびサウルの娘メラブがメホラびとバルジライの子アデリエルに産んだ五人の子を取って、 

9 彼らをギベオンびとの手に引き渡したので、ギベオンびとは彼らを山で主の前に木にかけた。彼ら七人は共に倒れた。彼らは刈入れの初めの日、すなわち大麦刈りの初めに殺された。 

10 アヤの娘リヅパは荒布をとって、それを自分のために岩の上に敷き、刈入れの初めから、その人々の死体の上に天から雨が降るまで、昼は空の鳥が死体の上にこないようにし、夜は野の獣を近寄らせなかった。 

11 アヤの娘でサウルのめかけであったリヅパのしたことがダビデに聞えたので、 

12 ダビデは行ってサウルの骨とその子ヨナタンの骨を、ヤベシギレアデの人々の所から取ってきた。これはペリシテびとがサウルをギルボアで殺した日に、木にかけたベテシャンの広場から、彼らが盗んでいたものである。 

13 ダビデはそこからサウルの骨と、その子ヨナタンの骨を携えて上った。また人々はそのかけられた者どもの骨を集めた。 

14 こうして彼らはサウルとその子ヨナタンの骨を、ベニヤミンの地のゼラにあるその父キシの墓に葬り、すべて王の命じたようにした。この後、神はその地のために、祈を聞かれた。 

 この非常に悲劇的なエピソードは、私達に罪の償いの問題の重さを伝えている。罪の問題が未解決のうちは、私達の人生に神からの永遠の祝福はありえず、霊的飢饉が重くのしかかったままになってしまう。

箴言28:13

その罪を隠す者は栄えることがない、言い表わしてこれを離れる者は、あわれみをうける。 

Ⅰヨハネ1:7-10

7 しかし、神が光の中にいますように、わたしたちも光の中を歩くならば、わたしたちは互に交わりをもち、そして、御子イエスの血が、すべての罪からわたしたちをきよめるのである。 

8 もし、罪がないと言うなら、それは自分を欺くことであって、真理はわたしたちのうちにない。 

9 もし、わたしたちが自分の罪を告白するならば、神は真実で正しいかたであるから、その罪をゆるし、すべての不義からわたしたちをきよめて下さる。 

10 もし、罪を犯したことがないと言うなら、それは神を偽り者とするのであって、神の言はわたしたちのうちにない。 

  神の前で私達ができる罪の償いは、御子イエス・キリストが十字架の上ですべて行ってくださった。私達がすべきことは、その神が備えてくださった罪の赦しを信じ、罪を告白し、神にキリストによって感謝することだけである。しかし、もし私達が隣人に対して罪を犯したならば、神に赦しを求めるのは勿論だが、その隣人に対しても謝罪と和解と補償が必要に応じてなされるべきなのである。終わりの時の多くの教会で、不和や分裂、硬直化という霊的飢饉が重くのしかかっているのは、この義務がないがしろにされているからである。