an east window

夜明けとなって、明けの明星が心の中に上るまで

香油を臭くする死んだ蠅

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伝道者10:1(新改訳)

死んだはえは、調合した香油を臭くし、発酵させる。

少しの愚かさは、知恵や栄誉よりも重い。

(新共同訳)

死んだ蠅は香料作りの香油を腐らせ、臭くする。

僅かな愚行は知恵や名誉より高くつく。

  モーセの律法において、主なる神に対する奉仕のために使われていた香油は、非常に正確な指示を基にして造られていた。

出エジプト30:22-33

22 主はまたモーセに言われた、 

23 「あなたはまた最も良い香料を取りなさい。すなわち液体の没薬五百シケル、香ばしい肉桂をその半ば、すなわち二百五十シケル、におい菖蒲二百五十シケル、 

24 桂枝五百シケルを聖所のシケルで取り、また、オリブの油一ヒンを取りなさい。 

25 あなたはこれを聖なる注ぎ油、すなわち香油を造るわざにしたがい、まぜ合わせて、におい油に造らなければならない。これは聖なる注ぎ油である。 

26 あなたはこの油を会見の幕屋と、あかしの箱とに注ぎ、 

27 机と、そのもろもろの器、燭台と、そのもろもろの器、香の祭壇、 

28 燔祭の祭壇と、そのもろもろの器、洗盤と、その台とに油を注ぎ、 

29 これらをきよめて最も聖なる物としなければならない。すべてこれに触れる者は聖となるであろう。 

30 あなたはアロンとその子たちに油を注いで、彼らを聖別し、祭司としてわたしに仕えさせなければならない。 

31 そしてあなたはイスラエルの人々に言わなければならない、『これはあなたがたの代々にわたる、わたしの聖なる注ぎ油であって、 

32 常の人の身にこれを注いではならない。またこの割合をもって、これと等しいものを造ってはならない。これは聖なるものであるから、あなたがたにとっても聖なる物でなければならない。 

33 すべてこれと等しい物を造る者、あるいはこれを祭司以外の人につける者は、民のうちから断たれるであろう』」。 

  原料の品質や種類、量とそれを計るための計り、その香油の使用対象、目的、効果に至るまで厳密に定められていた。神に仕える祭司たち以外には使うことが許されず、同じ材料で複製することも、またそれを使うことも許されておらず、その戒めに背いた者は死罪に値するという厳しい戒めであった。

 また、その香油を製造する職人も、神によって直接任命された人物でなければならなかった。

出エジプト31:1-11

1 主はモーセに言われた、 

2 「見よ、わたしはユダの部族に属するホルの子なるウリの子ベザレルを名ざして召し、 

3 これに神の霊を満たして、知恵と悟りと知識と諸種の工作に長ぜしめ、 

4 工夫を凝らして金、銀、青銅の細工をさせ、 

5 また宝石を切りはめ、木を彫刻するなど、諸種の工作をさせるであろう。 

6 見よ、わたしはまたダンの部族に属するアヒサマクの子アホリアブを彼と共ならせ、そしてすべて賢い者の心に知恵を授け、わたしがあなたに命じたものを、ことごとく彼らに造らせるであろう。 

7 すなわち会見の幕屋、あかしの箱、その上にある贖罪所、幕屋のもろもろの器、 

8 机とその器、純金の燭台と、そのもろもろの器、香の祭壇、 

9 燔祭の祭壇とそのもろもろの器、洗盤とその台、 

10 編物の服、すなわち祭司の務をするための祭司アロンの聖なる服、およびその子たちの服、 

11 注ぎ油、聖所のための香ばしい香などを、すべてわたしがあなたに命じたように造らせるであろう」。 

 当然、聖なる油として扱われるものだから、製造過程においても細心の注意が必要であった。 ほんの僅かな不純物の混入が、最も聖なる香油を台無しにしてしまう恐れがあったからである。ある人はこう考えるかもしれない。「5.7キロの液体の没薬、2.85キロの肉桂、同じく2.85キロのにおい菖蒲、 5.7キロの桂枝、そして3.8リットルのオリブオイル 、合計17.1キロの香料と3.8リットルの油、総重量20キロ以上の香油に対して、数匹の蠅が何だというのだ」。しかし、その数匹の蠅の混入が、聖なる香油の価値を台無しにしてしまう可能性があったのだ。さらに製造過程のみならず、その後の管理も厳密でなければいけなかった。不注意にも蓋を開けっ放しにしていたら、異物や香りに誘われた蠅が混入する危険があったからである。

 新約聖書において、「油」は聖霊のシンボルであり、「油注ぎ」は信者に対する聖霊の働きもしくは聖霊の賜物を表す。

Ⅰヨハネ2:20,27

20 しかし、あなたがたは聖なる者に油を注がれているので、あなたがたすべてが、そのことを知っている。 

27 あなたがたのうちには、キリストからいただいた油がとどまっているので、だれにも教えてもらう必要はない。この油が、すべてのことをあなたがたに教える。それはまことであって、偽りではないから、その油が教えたように、あなたがたは彼のうちにとどまっていなさい。 

 この聖霊の臨在と働きによって、神の啓示を理解し、 信仰に歩み、真理を語り、キリストの「香り」を放つことができるのである。私達の人間的な能力によるのではなく、ただこの「聖なる香油」を主イエスが私たちの上に豊かに注いでくださったことによってのみ、私達はそれらの全てのことを行えるのである。

Ⅱコリント2:14-17

14 しかし、神に感謝します。神はいつでも、私たちを導いてキリストによる勝利の行列に加え、至る所で私たちを通して、キリストを知る知識のかおりを放ってくださいます。

15 私たちは、救われる人々の中でも、滅びる人々の中でも、神の前にかぐわしいキリストのかおりなのです。

16 ある人たちにとっては、死から出て死に至らせるかおりであり、ある人たちにとっては、いのちから出ていのちに至らせるかおりです。このような務めにふさわしい者は、いったいだれでしょう。

17 私たちは、多くの人のように、神のことばに混ぜ物をして売るようなことはせず、真心から、また神によって、神の御前でキリストにあって語るのです。

  しかし、私達はこの「聖なる香油」が注がれた私達の心や知性の管理に細心の注意を払わなければならない。「蠅」が混入して「香油を腐らせ、臭くする」危険があるからだ。蠅は飛び回り、あらゆるものに触れる。人間の食物をだけではなく、死骸や腐敗物、汚物に至るまで、清いものから不潔なものまであらゆるものに触れ回る。蠅と訳されている原語は、【זבוּב ゼブーブ】で、これに関して旧約聖書の中に非常に興味深い記述がある。

列王下1:3

時に、主の使はテシベびとエリヤに言った、「立って、上って行き、サマリヤの王の使者に会って言いなさい、『あなたがたがエクロンの神バアル・ゼブブに尋ねようとして行くのは、イスラエルに神がないためか』。 

 カナンの地のエクロンの神は、バアル・ゼブル(「気高き主」あるいは「高き館の主」という意味)と呼ばれていたが、約束の地に入って行ったイスラエルの民は、その異教の神を忌み嫌い、バアル・ゼブブ(「蠅の主」または「糞の主」)という蔑称で呼んでいた。その名称は、イエス・キリストが地上で宣教された時代には、悪霊のかしらベルゼブルに変化して使われていた(マタイ12:24)。

 このように神の神聖さから派生しない、地上的・肉的要素が混入すると、たといそれがほんの僅かのように思えても、「キリストの香り」を損なってしまうのである。新改訳の「発酵させる」という訳は意味深い。混入してすぐは何の影響がないようだが、少しずつ「発酵し」、香油を臭くしてしまうのである。「死んでいるから大丈夫」「うるさく飛び回って害をもたらすわけでないから、放っておいてもいいんじゃないの」とは言っていられないのである。

 使徒パウロの時代には、多くの人が「神の言葉に混ぜ物をして売るようなこと」をしていた。「蠅が入って腐って臭くなった香油」を売って、イエス・キリストに全ての栄光を帰さないで「自分達の懐を肥やしてていた」のである。

 私達は、真心から、また神によって、神の御前でキリストにあって、キリストを知る知識を語るよう召されている。