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an east window

夜明けとなって、明けの明星が心の中に上るまで

一人悲しんでいる兄弟姉妹へ(2)

弱さのうちに顕れるキリストのいのち 聖別(キリストとの交わり)

ヨハネ20:16-18

16 イエスは彼女に「マリヤよ」と言われた。マリヤはふり返って、イエスにむかってヘブル語で「ラボニ」と言った。それは、先生という意味である。 

17 イエスは彼女に言われた、「わたしにさわってはいけない。わたしは、まだ父のみもとに上っていないのだから。ただ、わたしの兄弟たちの所に行って、『わたしは、わたしの父またあなたがたの父であって、わたしの神またあなたがたの神であられるかたのみもとへ上って行く』と、彼らに伝えなさい」。 

18 マグダラのマリヤは弟子たちのところに行って、自分が主に会ったこと、またイエスがこれこれのことを自分に仰せになったことを、報告した。

  マグダラのマリヤは、復活した主イエスの足元にずっといたかったのではないだろうか。主の亡骸が見つからなかった事で、あれほど泣き悲しんでいたのである。復活した主が今、目の前にいて、「マリヤよ」と声をかけてくださったのだ。彼女の心は喜びと驚きで溢れんばかりだっただろう。そんな至福の状態にもう少し陶酔していたかっただろう。しかし、主イエスは彼女に一つのメッセージを任せ、恐怖でエルサレムに隠れ閉じこもっていた弟子達にそれを伝えるように彼女を急がせた。

 そのメッセージは、捕えられたイエスを見捨てて逃げ隠れた弟子達に対する、赦しと和解と希望のメッセージであった。『わたしは、わたしの父またあなたがたの父であって、わたしの神またあなたがたの神であられるかたのみもとへ上って行く』。自己保身のためにイエスを見捨て、「彼のことなど知らない」と否定した弟子達に対して、「あなたがたは私を見捨てたが、それでも尚、私の父はあなたがたの父であり、私の神はあなたがたの神である。私はその方の所へ上っていき、あなたがたのために執り成しし、あなたがたに聖霊を遣わすだろう」という福音を備えてくださったのである。

 マリヤは目の前におられる復活した主の、素晴らしい「ビジョン」に背を向け、この主の御言葉を心に、弟子達のところへ行くように命じられ、躊躇うことなく従った。

 個人的な祈りの中で主なる神は、ご自身の栄光を顕してくださる。厳粛で、また麗しく、甘美な時でもある。そして何より、私たちの心の中に御言葉を備えてくださり、私たちを日常生活の中に送り出す。この世の喧騒の中で、麗しい「ビジョン」や心地よい感覚はすぐ消えてなくなってしまうかもしれない。しかし、与えられた御言葉は心の糧となり、力となり、命となって、私達を支え続けてくれる。

 このマグダラのマリヤのエピソードは、サマリヤの女のエピソード(ヨハネ4章)と共通点をもつ。主イエスは、砕かれ悲しんでいる一人の魂に個人的に語りかけ、御自身を啓示し、人々に伝えるべきメッセージを与えている。

 もし今、一人悲しんでいるあなたの魂に、主イエスが個人的に何かを語りかけているのなら、それはあなたの背後により大きな必要を見出していて、その必要をあなたによって満たそうと計画しているからかもしれない。

 

聖書引用

口語訳聖書 (c)日本聖書協会 Japan Bible Society, Tokyo 1954, 1955