an east window

夜明けとなって、明けの明星が心の中に上るまで

流刑の島パトモス

黙示1:9

あなたがたの兄弟であり、共にイエスの苦難と御国と忍耐とにあずかっている、わたしヨハネは、神の言とイエスのあかしとのゆえに、パトモスという島にいた。 

 使徒ヨハネが主イエス・キリストから黙示録に書かれている啓示を受けた時、この老齢の使徒は、地中海に浮かぶ小さな島パトモスにいた。島の総面積は34km²で、ちょうど東京都の杉並区と同じくらいの大きさ、山手線内側の面積の約半分の大きさである。今では観光地になっているが、ローマ帝国の時代には、この島は流刑地として利用されていた。使徒ヨハネは、西暦95年に当時のローマ皇帝ドミティアヌスによって、この島に流罪に処されたとされている。

 しかし流罪の動機は、幼児性虐待や痴漢、献金横領罪などの恥ずべき罪によるものでは全くなく、「神の言とイエスの証しとのゆえ」であった。つまり、使徒ヨハネはイエス・キリストを宣べ伝えていたという理由で囚われ、パトモス島に島流しされていたのである。ドミティアヌス帝は使徒ヨハネを流刑の孤島に閉じ込めることによって、福音宣教を阻止できるとでも考えたのだろう。ローマ帝国を治める権力を持っていたこの男に、もう少し知恵が働いていたら、全ての努力が無駄で、むしろ逆効果であることを理解していただろう。実際、終わりの時の啓示が後の全世界に普及する「手助け」になったのである。

 まず第一に、流刑は使徒ヨハネが生ける神に礼拝を捧げることを阻止できなかった。十節にある「ところが、わたしは、主の日に御霊に感じた」という一文は、ヨハネが日曜日に主の前で祈っていたことを暗示している。当然、島には礼拝堂などなかった。しかし、霊と真理によって父なる神を礼拝するには十分過ぎる程の場所と時間があった。

 また、「あなたがたの兄弟」「共にイエスの苦難と御国と忍耐とにあずかっている」という表現は、流刑がヨハネの心からアジアの七つの教会(4節)の信徒たちとの霊的交わりと連帯感を取り去ることはできなかったことを端的に証明している。ヨハネは孤独の中、自己憐憫によって、「なんで自分だけこんな目にあわなければならないんだ!」と思うこともできた。しかし、彼は「共にイエスの苦難にあずかっている」と語っている。

 そして何より、使徒ヨハネはこの小さな流刑の島で、天上の栄光の幻を見、それを人間の言葉で書き記すという特別な恵みを与えられたのである。その幻は後の二千年の人類の歴史を突き抜け、地上の荒れ狂う大患難の上を歩き、キリストの千年王国さえも通り越して、永遠の祝福まで到達している。ドミティアヌスの小賢しい思惑をあざ笑うかのように。

 ヨハネよりも三十年近く前に、同じようにキリストの福音の故に囚われの身になっていた使徒パウロは、テモテに手紙でこう書き送った。

Ⅱテモテ2:9

この福音のために、わたしは悪者のように苦しめられ、ついに鎖につながれるに至った。しかし、神の言はつながれてはいない。 

 私達がこのように日常的に聖書を開いて読むことができるのも、実は人間の権力や思惑などはるかに超える神の言の力によるのである。 また、如何なる困難においても、私たちが望むなら、神の約束は決して私たちから離れることがないことを確かに示しているのである。