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an east window

夜明けとなって、明けの明星が心の中に上るまで

什一献金について(3)教会運営の金銭感覚

什一献金についての考察

 ブログ『命と性の日記~日々是命、日々是性』

「今どき男子を考える(4)~イメージ系男子」より引用

 

 従来の「もてたがり見栄張り系男子」は、一定の経済的裏づけと金銭管理能力がありました。正社員で終身雇用で安定収入なので、多少無理をしても経済的な見通しはつきました。その中で、背伸びをしてちょっと分不相応な衣服と車を購入していたと思うのです。

 しかし、昨今の「イメージ系男子」は、一定の経済的裏づけと金銭管理能力に欠けているようです。非正規採用で不安定な雇用状態の中、経済的な見通しがつきません。将来のために貯蓄や、次のステージのための資金も必要です。しかし、そうした金銭管理をせずに、目新しいもの、かっこいいものを次々と購入します。「収入に応じての支出」という観念自体がないかのようです。

 ここが、従来の「もてたがり見栄張り系男子」との違いでしょう。金銭管理能力があり、「収入に応じての支出」も分かっている上で無理をしているのと、それらがなく分不相応の支出をするのは、大違いだと思うのです。前者は「もてたくて無理している大人」ですが、後者は「大人になりきれず、消費社会で溺れているお子ちゃま」と言えそうです。 なぜなら、一定、自分の欲望をコトロールし、金銭管理ができ、収入が示す分をわきまえているのが大人だからです。それを十分訓練され身に着けないままで、不安定雇用で低収入、消費の誘惑にあふれているこの消費社会に出れば、どうなるかは明らかです。

http://blog.kiyoshimizutani.com/?eid=3638

 

 私は普段日本で生活していないので、この若者の現象に関して、特に前の世代よりも際立っているかは判断しかねるが、むしろこの夏一か月間、実家がある東京で生活して、見聞きし受けた感じは、バブル世代の若者よりも今の若者達の方が、質素で堅実なもので満足している、という印象のほうが強い。

 むしろ、この記事を読んですぐ頭に浮かんだのは、現代の若者の金銭感覚よりも、「成熟した大人」であるはずの「教会」の分不相応の金銭感覚である。信徒達が神に祈り、神の知恵と力と忍耐を受け、週5,6日働いて得た収入を、「什一献金」という非聖書的な制度(*)によって義務として集め、「神に捧げられた」はずのそれらのお金を、牧師らの個人的な「ビジョン達成」のために浪費されているケースは、いまどき珍しい事ではなくなってしまった。「信仰によって」建てられた巨大な建造物のための借金返済に特別献金が催促され、断ると「神のものを盗んでいる」という矢が講壇から放たれる。立派な車、コンサート会場のような音響機器、一日何十万もする会場を借りて行われる特別集会やコンサート。様々なプロジェクトに会議の時間と経費が費やされ、気が付いたら教会員の心はカラカラ、金銭感覚のズレで家庭では内輪もめ、でもそんな実情は教会内では口が裂けても言えないので、教会の中の閉塞感ばかりがどんどん大きくなっていく。

 逆に地方の教会で真摯に宣教をしている神の僕たちは、上記のような牧師らの浪費のスキャンダルによって、負う必要のない重荷まで負う羽目になり、苦しまなければいけない事態にどんどん追い込まれていく。

 神の備えの約束「 まず神の国と神の義とを求めなさい。そうすれば、これらのものは、すべて添えて与えられるであろう」(マタイ6:33)はどんな時でも忠実であり、また神の御言葉を愛する信徒たちは、現実的な必要に対していつも惜しみないことは、紛れもない事実である。「什一献金」という非聖書的な制度を取り除けば、教会に「分相応な大人の金銭感覚」が与えられ、人に強制されてやることで「沈殿する」心のわだかまりや、他人に誇示するための不純な動機ではなく、「受けるより与えることの神から来る喜び」と、神の備えに対する驚きと賛美、宣教に対する純粋な熱意が、教会の中の淀んだ空気を吹き飛ばしてくれるであろう。

 

(*)「什一献金制度」の非聖書性に関しては、以下の記事で論証した。

什一献金について(1)http://eastwindow18.hatenadiary.com/entry/2013/06/02/162005

(2)http://eastwindow18.hatenadiary.com/entry/2013/06/03/140004

 

(4)に続くhttp://eastwindow18.hatenadiary.com/entry/2013/09/14/021837