an east window

夜明けとなって、明けの明星が心の中に上るまで

備え

Ⅱテサロニケ2:1-3

1 さて兄弟たちよ。わたしたちの主イエス・キリストの来臨と、わたしたちがみもとに集められることとについて、あなたがたにお願いすることがある。 

2 霊により、あるいは言葉により、あるいはわたしたちから出たという手紙によって、主の日はすでにきたとふれまわる者があっても、すぐさま心を動かされたり、あわてたりしてはいけない。 

3 だれがどんな事をしても、それにだまされてはならない。まず背教のことが起り、不法の者、すなわち、滅びの子が現れるにちがいない。

 この冒頭の句から始まる部分は、パウロがテサロニケの信徒たちに書き送った第一の手紙の中で書き記した、主イエス・キリストの再臨に関する啓示の、「補習」であり「再確認」である。つまり第一の手紙の解釈において混乱していたテサロニケの信徒たちの理解を、より真理に沿った正確なものに導くために書き記されたのである。

 この二通の手紙の関係を考慮することは、再臨の啓示を理解する上で非常に大切である。第一の手紙で書き送られたイエス・キリストの来臨に関する内容は、以下の通りである。

Ⅰテサロニケ4:13-18;5:1-4

13 兄弟たちよ。眠っている人々については、無知でいてもらいたくない。望みを持たない外の人々のように、あなたがたが悲しむことのないためである。 

14 わたしたちが信じているように、イエスが死んで復活されたからには、同様に神はイエスにあって眠っている人々をも、イエスと一緒に導き出して下さるであろう。 

15 わたしたちは主の言葉によって言うが、生きながらえて主の来臨の時まで残るわたしたちが、眠った人々より先になることは、決してないであろう。 

16 すなわち、主ご自身が天使のかしらの声と神のラッパの鳴り響くうちに、合図の声で、天から下ってこられる。その時、キリストにあって死んだ人々が、まず最初によみがえり、 

17 それから生き残っているわたしたちが、彼らと共に雲に包まれて引き上げられ、空中で主に会い、こうして、いつも主と共にいるであろう。 

18 だから、あなたがたは、これらの言葉をもって互に慰め合いなさい。 

5:1 兄弟たちよ。その時期と場合とについては、書きおくる必要はない。 

2 あなたがた自身がよく知っているとおり、主の日は盗人が夜くるように来る。 

3 人々が平和だ無事だと言っているその矢先に、ちょうど妊婦に産みの苦しみが臨むように、突如として滅びが彼らをおそって来る。そして、それからのがれることは決してできない。 

4 しかし兄弟たちよ。あなたがたは暗やみの中にいないのだから、その日が、盗人のようにあなたがたを不意に襲うことはないであろう。 

 この内容を読み、おそらく当時起きた何かしらの否定的な出来事と結び合わせたのだろう、「主の日はすでにきた」とふれまわる者が出てきて、それが教会に混乱をもたらしていた。そのことを聞いたパウロは、事態を鎮静するため再び手紙を書いたのである。

 興味深いのは二節と三節で、「霊により、あるいは言葉により、あるいはわたしたちから出たという手紙によって、主の日はすでにきたとふれまわる者があっても、すぐさま心を動かされたり、あわてたりしてはいけない。だれがどんな事をしても、それにだまされてはならない」として、たとい預言や異言の解き明かし、説教、聖書研究による教えなどで、「主の日はすでにきた」、つまり主イエスが御国を建て上げるための一連の出来事(教会の携挙、反キリストの顕現に伴う大患難、回心したユダヤ人の殉教、キリストの来臨と諸国の裁き)がすでにはじまった、とふれまわる者があっても、耳を貸す必要はないことを訓戒しているのである。これはまた、三節以降のパウロの説明が、なによりも確実で重要であることを示している。

 確かに「主の日は盗人が夜くるように来る」。主イエス・キリストも言っている。

マタイ24:36;42-44

36 その日、その時は、だれも知らない。天の御使たちも、また子も知らない、ただ父だけが知っておられる。

42 だから、目をさましていなさい。いつの日にあなたがたの主がこられるのか、あなたがたには、わからないからである。 

43 このことをわきまえているがよい。家の主人は、盗賊がいつごろ来るかわかっているなら、目をさましていて、自分の家に押し入ることを許さないであろう。 

44 だから、あなたがたも用意をしていなさい。思いがけない時に人の子が来るからである。

黙示録3:3

だから、あなたが、どのようにして受けたか、また聞いたかを思い起して、それを守りとおし、かつ悔い改めなさい。もし目をさましていないなら、わたしは盗人のように来るであろう。どんな時にあなたのところに来るか、あなたには決してわからない。 

 「あなたには決してわからない」。だからパウロは、「その時期と場合とについては、書きおくる必要はない」と書いたのである。それはまた、パウロ自身も知らなかったからである。しかしそれと同時に、「あなたがたは暗やみの中にいないのだから、その日が、盗人のようにあなたがたを不意に襲うことはないであろう」と書いて、テサロニケの信徒たちを励ましている。パウロは彼らが暗闇の中にいないように、彼らを真理によって繰り返し備えていたからである(わたしがまだあなたがたの所にいた時、これらの事をくり返して言ったのを思い出さないのか。Ⅱテサロニケ 2:5)。

 終わりの時を生きる私たちにも、主の日は盗人が夜くるように不意に来る。しかし、もし私たちが御言葉による備えを怠らず、光の中を歩むなら、その日が盗人のように私たちを不意に襲うことはないであろう。

 

追記:

 主の日の始まりの「スイッチ」が、不意に訪れる「反キリストの顕現を阻止している者が取り除かれる時」、つまり教会の携挙による「ブレーキ解除」と考えると、Ⅰテサロニケ5:3(人々が平和だ無事だと言っているその矢先に、ちょうど妊婦に産みの苦しみが臨むように、突如として滅びが彼らをおそって来る)の突発性が理解できる。