an east window

夜明けとなって、明けの明星が心の中に上るまで

友を研ぐ友

箴言27:17 新改訳

鉄は鉄によってとがれ、人はその友によってとがれる。

ヨハネ15:13-16

13 人がその友のために自分の命を捨てること、これよりも大きな愛はない。 

14 あなたがたにわたしが命じることを行うならば、あなたがたはわたしの友である。 

15 わたしはもう、あなたがたを僕とは呼ばない。僕は主人のしていることを知らないからである。わたしはあなたがたを友と呼んだ。わたしの父から聞いたことを皆、あなたがたに知らせたからである。 

16 あなたがたがわたしを選んだのではない。わたしがあなたがたを選んだのである。そして、あなたがたを立てた。それは、あなたがたが行って実をむすび、その実がいつまでも残るためであり、また、あなたがたがわたしの名によって父に求めるものはなんでも、父が与えて下さるためである。 

 イエス・キリストはその愛によって、私達罪びとを「友」、しかもご自身の命を捨てるに値するほどの「友」として選んでくださった。「わたしはあなたがたを友と呼んだ。わたしの父から聞いたことを皆、あなたがたに知らせたからである」。私たちが彼を友と呼んだのでもなく、彼のことを求めたわけでもなかった。彼が私達にご自身を啓示してくださったのである。その啓示を、私たちはただ信じた。初めは半信半疑だった。しかし、いつか聖霊の働きにより心の底から「主よ!」「イエスさま!」と叫んだのであった。主はその信仰を「わたしが命じることを行った」とみなしてくださり、その類なき「友情関係」は、あまりに不釣り合いな状態に戸惑いながらも歩みはじめたのであった。

 その「友」によって、私達は研がれる。主は私達の「硬さ」に合わせて遜ってくださり、それによって摩耗した「刃」は、切れ味を取り戻す。非常に忍耐と根気を必要とする仕事である。しかし、主なる神はそれを日々、御言葉を通して行って下さる。

そう、ちょうど職人が刃を研ぐときに、砥石の上に一筋の水を落とし続けるように。

伝道10:10

鉄が鈍くなったとき、人がその刃をみがかなければ、力を多くこれに用いねばならない。しかし、知恵は人を助けてなし遂げさせる。 

Ⅱテモテ3:16,17

16 聖書は、すべて神の霊感を受けて書かれたものであって、人を教え、戒め、正しくし、義に導くのに有益である。 

17 それによって、神の人が、あらゆる良いわざに対して十分な準備ができて、完全にととのえられた者になるのである。