an east window

夜明けとなって、明けの明星が心の中に上るまで

手首に残された鎖

使徒12:4-7

4 ヘロデはペテロを捕えて獄に投じ、四人一組の兵卒四組に引き渡して、見張りをさせておいた。過越の祭のあとで、彼を民衆の前に引き出すつもりであったのである。 

5 こうして、ペテロは獄に入れられていた。教会では、彼のために熱心な祈が神にささげられた。 

6 ヘロデが彼を引き出そうとしていたその夜、ペテロは二重の鎖につながれ、ふたりの兵卒の間に置かれて眠っていた。番兵たちは戸口で獄を見張っていた。 

7 すると、突然、主の使がそばに立ち、光が獄内を照した。そして御使はペテロのわき腹をつついて起し、「早く起きあがりなさい」と言った。すると鎖が彼の両手から、はずれ落ちた。 

 

12:19-23

19 ヘロデはペテロを捜しても見つからないので、番兵たちを取り調べたうえ、彼らを死刑に処するように命じ、そして、ユダヤからカイザリヤにくだって行って、そこに滞在した。 

20 さて、ツロとシドンとの人々は、ヘロデの怒りに触ていたので、一同うちそろって王をおとずれ、王の侍従官ブラストに取りいって、和解かたを依頼した。彼らの地方が、王の国から食糧を得ていたからである。 

21 定められた日に、ヘロデは王服をまとって王座にすわり、彼らにむかって演説をした。 

22 集まった人々は、「これは神の声だ、人間の声ではない」と叫びつづけた。 

23 するとたちまち、主の使が彼を打った。神に栄光を帰することをしなかったからである。彼は虫にかまれて息が絶えてしまった。

 ペテロはヘロデ王の命令によって捕えられ、二重の鎖につながれ、ふたりの兵卒の間に置かれて眠っていた。つまり、ペテロの右手は彼の右側にいた兵卒の左手に鎖で繋がれ、彼の左手は彼の左側にいた兵卒の右手につながれている状態だった考えられる。ペテロと鎖で繋がっていた二人の兵卒、そして牢の扉の外で待っていたもう二人の、四人組で「死刑囚」ペテロを見張っていたのである。

 ペテロはむさくるしい二人の男たちに繋がれて眠っていた。ペテロが次の朝に処刑されるのを知っていたかどうか判らないが、ヤコブに対する残忍な措置を知って、主イエスの御言葉が成就したのだ(ヨハネ21:18,19)と、覚悟を決めていたのかもしれない。

 しかし突然、主の使が現れ、ペテロの両手の鎖を外し、牢獄の扉を開け、ペテロを導き出したのだ。ペテロは祈っていた兄弟姉妹のところに無事に戻ることができた。

 このエピソードで非常に意味深いことは、主の使がペテロの両手首から外した鎖は、二人の兵卒らの手首に繋がったままであったことである。そしてペテロは脇腹を突かれて起こされたが、この兵卒らは眠ったままであった。鎖に繋がれて。

 当時のしきたりにより、ヘロデ王はこの兵卒達に責任を取らせ、処刑した。しかしそのヘロデ自身も、自分が神であるかのように振る舞ったので、虫にかまれて死んだ。なんという皮肉な結末だろう。

 この世の君サタンが、様々な人や出来事を利用して、私達の自由を奪い、縛り付けていようとしても、結局正しい神は必ず私達を解放してくださる。それはもしかしたらヤコブのように殉教死という形かも知れない。あるいは、ペテロのように超自然的な方法による解放かもしれない。いずれにせよ、神はご自身に信頼を寄せる者の手から、鎖を完全に取り去ってくださる。そしてその鎖は、信じる者を縛り付けようとした人たちの手に重く残るのである。

 Ⅱペテロ2:9,10 

9 こういうわけで、主は、信心深い者を試錬の中から救い出し、また、不義な者ども、 

10 特に、汚れた情欲におぼれ肉にしたがって歩み、また、権威ある者を軽んじる人々を罰して、さばきの日まで閉じ込めておくべきことを、よくご存じなのである。こういう人々は、大胆不敵なわがまま者であって、栄光ある者たちをそしってはばかるところがない。 

 たといどんな状況にあっても、神の御言葉のうちに信頼して休んでいよう。それが私たちにとっては、すでに「自由」を意味するのだから。

 この兵卒の手首に残された鎖は、二つの真理を表している。「神に信頼を寄せる者の解放と自由」、そして「神に逆らい、信じる者を縛り付け抑えつけようとしている人々に対する裁き」を。