an east window

夜明けとなって、明けの明星が心の中に上るまで

あなたは頭数ではない

マタイ18:2ー6,10,20

2 すると、イエスは幼な子を呼び寄せ、彼らのまん中に立たせて言われた、 

3 よく聞きなさい。心をいれかえて幼な子のようにならなければ、天国にはいることはできないであろう。 

4  この幼な子のように自分を低くする者が、天国でいちばん偉いのである。 

5 また、だれでも、このようなひとりの幼な子を、わたしの名のゆえに受けいれる者は、わたしを受けいれるのである。 

6  しかし、わたしを信ずるこれらの小さい者のひとりをつまずかせる者は、大きなひきうすを首にかけられて海の深みに沈められる方が、その人の益になる。 

10  あなたがたは、これらの小さい者のひとりをも軽んじないように、気をつけなさい。あなたがたに言うが、彼らの御使たちは天にあって、天にいますわたしの父のみ顔をいつも仰いでいるのである。

20 ふたりまたは三人が、わたしの名によって集まっている所には、わたしもその中にいるのである。

 イエスによって弟子たちのまん中に立たせされた「(ひとりの)幼な子」、キリストの名によって受け入れられた「ひとりの幼子」、「これらの小さい者の一人」、キリストの名によって集う「二人か三人」。イエス・キリストが、これらの言葉を少なくとも七十人以上の弟子たち、同行していた女性たちを加えたら、おそらく百人を優に超える人々に語ったことを考えると、非常に意味深い。

 またイエスは弟子たちの中から一人を選ばなかった。「頭数」のうちにも入らなかった「ひとりの幼子」を真ん中に立たせ、「遜って自分を無とすること」「寛容であること」「神に対する畏れの念をもって一人の魂を愛すること」の重要性を語った。

 この「ひとりの幼子」のすぐ隣に、地上のうごめく罪びとの間に遜って降りてきて下さった「神の独り子」がいた。彼は「天国で一番偉い方」であったが、自分を低くした。父なる神の名によって来たのに、人々からは受け入れられなかった(ヨハネ1:11)。軽んじられ、「つまずきの石」として蹴り飛ばされた。唯一の神の子としてではなく、虚無の中を彷徨う罪びとの一人として数えられた(マルコ15:28)。挙句の果てに、貴方と私の罪という「大きな石うす」を首に掛けられ、地上の最も低いところに投げ入れられてしまった(エペソ4:9)。全てこれらのことが起きたのは、貴方と私が、頭数としてではなく、つまずかせることも見下すことも許されない、「ひとりのかけがいのない魂」として神に受け入れられることを可能にするためであった。