an east window

夜明けとなって、明けの明星が心の中に上るまで

ロトの妻のことを思い出しなさい

ルカ17:32

ロトの妻のことを思い出しなさい。

創世記19:16

彼はためらっていたが、主は彼にあわれみを施されたので、かのふたりは彼の手と、その妻の手と、ふたりの娘の手を取って連れ出し、町の外に置いた。

創世記19:26

しかしロトの妻はうしろを顧みたので塩の柱になった。 

 ソドムの町に神の裁きが下ろうとしていた夜、二人の御使いがロトと彼の家族を救うためにソドムの町まで来ていた。夜明けが間近に迫り、二人の御使いはロトに言った。「さあ立って、あなたの妻と、ここにいる二人の娘たちを連れて行きなさい。さもないと、あなたはこの町の咎のために滅ぼし尽くされてしまおう。」しかし、ロトがためらっていたので、二人の御使いはそれぞれ彼らの手を取って、町の外に連れ出した。

 これは驚くべきことである。ロトの妻は、一人の天使、しかもある肉体性を持った天使に手を握りしめられ、滅びの町から連れ出されたのである。天使は人間やすべての被造物と同様、神に造られたものだが、霊的な存在であり、本来肉体を持たず性別などもない。ただ、神が望むとき、肉体の似姿を持つことができる。ロトの妻は、そんな天使に手を取られ、町から救い出されたのである。

 しかし彼女は「後ろを振り向いてはならない」という警告を受けていたにもかかわらず、ツォアルの町に逃れる途中で後ろを振り向いた瞬間、塩の柱となってしまった。ロトの妻は、片手で救いの天使の手を握り締めながらも、心では滅びの町に魅かれていたからである。

 私たちは救いの道において、不思議な経験や、手に触れられるようなリアルで霊的経験をする。それは私たちの弱さやためらい、戸惑いなどを神が憐れんでくださるからでもある。しかし、そのような体験や証しを持ちながらも、またそのような経験の中に生きながらも、心が神の救いの方向を向いておらず、この世の罪に魅かれてしまっていることがあり得るのだ。有名な牧師やカリスマ・リーダーのスキャンダルは、この恐ろしい状態を明らかに示しているのではないだろうか。彼らは、神の奇蹟や霊的権威を片手に、人の目が届かない心の奥底において堕落していった。

 しかしロトの妻は、これらのスキャンダルを起こした牧師たちためだけではなく、終わりの時に生きる全ての人にとっても、大いなる警告である。