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an east window

夜明けとなって、明けの明星が心の中に上るまで

弱さのうちに顕れるキリストのいのち(4)シメオン

ルカ2:28-30

すると、シメオンは幼子を腕に抱き、神をほめたたえて言った。

「主よ。今こそあなたは、あなたのしもべを、みことばどおり、安らかに去らせてくださいます。私の目があなたの御救いを見たからです。」

 

 何と麗しい情景だろうか。何と意味深い一瞬だろうか。

一人の非常に高齢の老人が、乳児を腕に抱き、神をほめたたえている。「活気みなぎる」という表現とは正反対のたたずまいの老人が、自分では立つこともできず、話すこともできない、あまりにも無防備で無抵抗な命、しかも神の御子の命を抱えている。そしてこの静謐な老人は、幼子イエスを抱いた瞬間、今までの緊張や葛藤、不安、焦り、とまどい、重荷などから一瞬に解放され、思わず「今こそあなたは、あなたのしもべを、みことばどおり、安らかに去らせてくださいます」と神を賛美している。全てから解放され、御子の命によって完全な平安の内に満たされたからである。「私はもう何もいらない。救いである御子の命をこの目で見、手に持っているのだから!」。

 

「あの方は盛んになり私は衰えなければなりません」(ヨハネ3:30)と言った洗礼者ヨハネにも、「わたしは自分の行程を走り終え、主イエスから賜わった、神のめぐみの福音をあかしする任務を果し得さえしたら、このいのちは自分にとって、少しも惜しいとは思わない」(使徒20:24)と言ったパウロの内にも、同じように全てを委ねる霊が働いておられた。罪びとの代わりに全てをはぎ取られ、十字架の上で見捨てられたにもかかわらず、最後に「父よ。わが霊を御手にゆだねます」と祈り、息を引き取られた御子の霊が。

 

「 キリストとその復活の力とを知り、その苦難にあずかって、その死のさまとひとしくなり」(ピリピ 3:10)。

 

私たちはもっと安心して、そしてより大胆に、自分の命を神の御手に委ねても大丈夫だと思う。