an east window

夜明けとなって、明けの明星が心の中に上るまで

「聖書の無誤性」について

「聖書の無誤性」村上 密 Blog

http://maranatha.exblog.jp/20579785/

 ある教団やグループの教義や声明文が、救いをもたらすのでは無いことは明らかである。『この教会は聖書に忠実な教会です』とホームページで宣言することが、その教会を聖書に忠実な教会にするわけではなく、『この教会はエホバの証人やモルモン教とは、一切関係ありません』と宣言することが、その教会をカルト化から護ってくれるわけでもない。

 聖書の正典論は、成立過程や内容においてもそれぞれ意見が分かれていて非常に複雑な問題である。聖書の無誤性というテーマも同様である。その点、村上牧師の記事は短文ながら明確で、大変興味深いと思う。

 しかし、『私はどんな学者が知恵を集めても、見ていないで「原典において誤りがない」は実証的な見地ではなく、もはや失われた原典を祭り上げているように思える。』という意見は、省察が必要なのではないだろうか。「聖書の原典において誤りがない」という教えは、実証的な見地を基礎にしているわけではなく、やはり「完全な神の啓示には誤りがない」という信仰的な見地によるものではないだろうか。例えば、もし今、モーセの五書の完全な原本があったとしても、それに対して「誤りがない」と言える実証的見地とは何だろうか。何をもって「誤りがない」と主張できるのだろうか。やはり同様に信仰によるのではないだろうか。それゆえ、「もはや失われた原典を祭り上げているように思える」という主張は、短絡な推測ではないかと思う。

 しかしながら、この方が記事を書いた動機は、十分評価されるべきものだと思う。