an east window

夜明けとなって、明けの明星が心の中に上るまで

キリストの愛の中に

黙示録12:12

それゆえに、天とその中に住む者たちよ、大いに喜べ。しかし、地と海よ、おまえたちはわざわいである。悪魔が、自分の時が短いのを知り、激しい怒りをもって、おまえたちのところに下ってきたからである。

マタイ24:10-13

そのとき、多くの人がつまずき、また互に裏切り、憎み合うであろう。 

また多くのにせ預言者が起って、多くの人を惑わすであろう。 

また不法がはびこるので、多くの人の愛が冷えるであろう。 

しかし、最後まで耐え忍ぶ者は救われる。

 例えば将棋やチェスの試合で、勝ち目が全くないと知っていたら、何をするだろうか。

戦争でまともに戦っても相手を負かすことはできないと知っていたら、どんな手段を使うだろうか。

希望を失ったり、余命いくばくもない人間が自暴自棄となり、他人を巻き込む犯罪を犯すことに存在意義を見出すケースを人類は数多く見てきた。

 

自己保身、不誠実、猜疑心、欺き、裏切り、憎しみ、暴力、人殺し、、、

そしてそれはキリスト者の心を暗く冷酷な底なし沼へ引きずり込もうとする。

 

しかし、最後まで耐え忍ぶ者は救われる。

 

人間の邪悪さが最も顕著に現れた時、神の最も深い愛が十字架の上に現れた。

父よ、彼らをおゆるしください。彼らは何をしているのか、わからずにいるのです。(ルカ23:34)

  イエス・キリストの十字架の死は、誕生、死、復活、昇天という時系列上の一要素だけではなく、キリスト者が絶えず留まっていなければならない「のがれの町」(民数記35)である。

私の愛の中にとどまりなさい。(ヨハネ15:9)